脱亜論

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伝統文化

【韓国伝統工芸】 「日本より500年早い私たちの漆画、あまり知られていなくて残念」

1: LingLing ★ 2024/04/23(火) 22:49:55.20 ID:Dsxmpte+
[ソウル文化トゥデイ文化大賞受賞者] キム・ファンギョン(号チョンモク)漆画匠
「日本より500年先だつ我々の漆画、あまり知られてなく残念」

・黙々と漆画だけ見て歩んできた60年…大企業の協業で初代展だけで34回開催
・有名化粧品ブランドと合作、G20ファーストレディの公式膳物として贈呈されたことも
・「漆画には変化無双の絵画である…時間とともに変化する固有の色感が魅力」
・漆学科はすべて閉科、伝統工芸に関心薄れる傾向…「生かすシステムが必要」

[ソウル文化トゥデイ、ウンヨン発行人、キム・ヨンシン記者]

今日まで残って伝承されている伝統工芸のさまざまな技術の中で、三国時代までさかのぼるほど淵源が古い種目は多くない。漆画は漆と天然顔料を混合して作られた伝統の色で絵画的表現をするもので、我々のチルファ(漆畵)の歴史は1600年をさかのぼる。 高句麗の「狩猟図」や古墳壁画、新羅の「天馬図障泥」、百済の武寧王陵発掘遺物などから我々の漆画の長久な歴史を確認することができる。

しかし、高麗時代に差し掛かり螺鈿漆器が盛んになると、漆画が少し勢いがなくなり、百済と新羅から伝わった漆画技術が日本で花を咲かせることになった。今日では、我々の漆画が日本より500年先にあるのに、漆画を日本文化と考える誤った認識が蔓延しているかたちだ。

ソウル市無形文化財第1号キム・ファンギョン漆画匠は60年間、漆画の人生を歩んできた匠人として、このような形勢にもどかしさを感じて、我々の漆画文化の底辺拡大と技術伝承に励んできている。現代絵画の表現様式を借りて漆画の大衆化と現代化に寄与したり、よく知られた企業との協業で伝統工芸を我々の近くに持ってきたりと、絶えず努力してきた人だ。

彼は、「我が民族が日本に伝承した漆画の伝統を取り戻そう」という気持ちで、使命を持って漆画の伝承と保存のためにチョンモク漆塗り研究所を設立して運営している。タンスの全盛期で成業を築いた80年代には清潭洞(チョンドムドン)でギャラリーも運営した。当時、漆画科出身や、美大を卒業したばかりの数多くの門下生たちが先生の工房に通っていた。

しかし、伝統工芸に対する関心が次第に減り、釜山女子大、韓南大、培材大、ソウル市立大など既存に開設されていた漆学科が全て閉科されて、彼の工房を訪ねる学生たちの足も目に見えて減ることになった。我々の伝統工芸に対する青年たちの関心が減っている近ごろ、キム漆画匠はひたすら「漆画」一つだけを見つめながら、苦しい環境でも黙々と一つの道だけを歩んできた。

このような彼の功労を称えようと本誌『ソウル文化トゥデイ』は1月、キム漆画匠に「第15回ソウル文化トゥデイ文化大賞工芸部門大賞」を授賞したところである。この日、キム漆画匠は、「これからも頑張ります」と短い受賞の所感を述べたが、彼の顔にあらわれた固い意志は残り少ない漆画伝承者としての大きな責任感が込められているようだった。

我が国の伝統工芸が日常の中から、ますます立場を失っている近ごろ、キム漆画匠が歩んできた道は確かに楽ではない道だったであろう。彼が歩んできた工芸人生と今日の漆画の現在の位置について聞こうと、平倉洞(ピョンチャンドン)にある彼の作業室を訪ねた。低い丘の上に位置する彼のアトリエには深い漆の香りがいっぱいに漂っていた。(省略…)

-「我が民族が日本に伝承した漆画の伝統を取り戻そう」という使命を持って漆画の復元に励んできた。また、ソウル市無形文化財として漆画の伝承と保存のためにチョンモク漆研究所を運営している。我が国の伝統工芸に対する青年たちの関心が減っており、責任感が大きいようだ。

「我々の漆の歴史は日本より500年早いのに、どうやら『漆といえば、日本』になるから、我々があまりにもうずくまって暮らしたのではないかと思い、匠人として惜しいという気持ちがある。

漆画のようなケースは伝承がうまくいっていない。私の代を継ぐ弟子を育てるのは簡単ではない。どうも、この仕事だけでは生活がしづらいとみて、若者たちが忌避しているようだ(省略…)」

ソース ソウル文化トゥデイから一部抜粋(韓国語)
http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=42703

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【韓国】 日本の茶道文化は蔚山(ウルサン)から伝播されたものです

1: LingLing ★ 2024/04/17(水) 00:01:45.93 ID:3oHkpzcD
「日本の茶道文化は蔚山草庵茶道から伝授」

「日本の茶道文化は蔚山から伝播されたものです」
武蒼山(ムチャンサン)僧侶(俗名チェ・ドクジュン)が草庵茶道(チョアムタド)の創始者・雪岑(ソルジャム)禅師を研究した結果を盛り込んで、書籍『草庵茶道の雪岑禅師(民俗院)』を披露した。

僧侶は南長寺(ナムジャンサ)の住持であった時、大雄殿の天井で『ソルジャルヨガム(雪岑了勘)』という遺稿集が発見されたことをきっかけに、雪岑禅師に関する研究を始めた。

雪岑禅師は一箇所にとどまらず、全国の寺と庵子を訪れ、道伴達や弟子達、日本僧侶達と交流して詩を作りながら、自分なりの茶道を広く知らせた。彼の茶道が日本に大きな影響を及ぼしたというのがムチャンサン僧侶の見解だ。

僧侶は、「雪岑禅師が朝鮮成宗(ソンジョン)9年(1478年)、蔚山の塩浦倭館佛日庵にいた日本僧侶の要請で草庵茶屋を建てて草庵式茶道作法を伝授した」とし、「日本僧侶が本国に戻って雪岑禅師から伝えられた草庵茶道を本国に伝播し、今の日本茶道文化の基礎となった」と主張した。

書籍で僧侶は雪岑禅師を「人類最初に太極原理に基づいて草庵茶道を創始し、時代を超越した永遠なる先覚者」と称している。

書籍は数十年間韓国と日本を行き来して収集した資料をもとに、「茶道と金鰲草堂」、「茶堂」、「茶碗」、「茶碗と茶卓」、「點茶」、「禅修行と茶生活」など12の部分に分けられ、雪岑禅師が日本に草庵茶道を伝播する事情と草庵茶道の実体などを記録した。

僧侶は蔚山蔚州郡呉陽邑平里に茶室を設けて、茶碗作りのための窯まで置いている。

慶州崔富者宅(キョンジュチェプジャテク)の系譜を継ぎながら、幼い頃から自然に茶道に接するようになったという。

ムチャンサン僧は、「先月、蔚山で『草庵茶道作法試演大会」を開く計画だったが、さまざまな事情で無産化された」とし、「蔚山、慶州が草庵茶道の発祥地だ。多くの蔚山の人が知らないので残念だ」と話した。ムチャンサン(法號、武蒼山) 僧侶は南長寺住持、喜方寺住持を務めた。(省略…)
コ・ウンジョン記者

ソース 蔚山毎日
https://www.iusm.co.kr/news/articleView.html?idxno=1037862

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【ウーロン茶】 「北村で茶道を楽しみながら韓屋文化を体験しましょう」

1: 仮面ウニダー ★ 2023/12/13(水) 12:42:56.76 ID:RUqeXjy1
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「茶道を学ぶためには、韓服を着てからひざまずいて座らなければならないような気がするでしょう? 違います。
お茶は気楽に楽しむのが一番です」

1日、ソウル鍾路区桂洞(チョンノグ・ケドン)の北村(プクチョン)ラウンジ。
茶道の体験を担当したチャチャティクラブのイ・ヒョンジェ代表は、ウーロン茶を茶碗に注ぎながらこのように話した。

イ代表は、「よく思い出す厳しい茶道文化は、日本による植民地時代にできた」とし、
「お茶を出す人は、お客様の茶碗が空いた時は満たさなければならないが、お客様は飲み切らなくても無礼なことではない。
気楽にお茶を楽しめばいい」と話した。体験に参加した人々は、ようやく緊張した表情を和らげ、ウーロン茶を飲んだ。

イ代表はさらに、緑茶や白茶、プーアル茶など様々な茶の特徴について説明し、お茶を入れる方法を教えた。
イ代表は、「眠っている茶葉を起こすために、最初に入れたお茶は飲まない」とし、
「初めていれたお茶で茶碗を温めて捨てた後、2回目に入れるお茶から飲めばいい」と話した。

●韓屋で感じる茶道の魅力
参加者たちは、前に置かれた茶碗ややかん、茶葉などを触ったりもした。ロシア留学中に一時帰国した娘と一緒に
北村ラウンジを訪れたキム・ビョンスさん(53)は、「娘が幼い頃、ロシアに留学して韓国文化に慣れていない」とし、
「文化体験として来たが、静かな韓屋で娘と一緒に茶道を楽しむことができて心が安らかになる」と話した。

ソウル市は、「韓屋4.0再創造推進計画」の一環として、韓屋村である北村と西村(ソチョン)に
韓屋文化を体験できるラウンジを造成した。先月8日から本格的な運営を開始したラウンジには、
先月の1ヵ月間、北村と西村を合わせて1265人が訪れた。ラウンジでは、様々なプログラムが行われるが、茶道もその一つだ。

ソウル市は今後も、「新しい韓屋、日常の中の韓屋、グローバル韓屋」をモットーに、韓屋を通じて都市競争力と魅力を育てる計画だ。
今年9月は、新規韓屋村事業の対象地として江東区岩寺洞(カンドング・アムサドン)など6ヵ所を選んだ。

ソウル市の関係者は、「韓屋を再解釈した一般建物も韓屋と認定するなど、韓屋のすそ野を広げるための努力も行われている」とし、
「持続的に韓屋村を拡大し、より多くの国内人・外国人が訪れるようにする」と話した。

●韓国語教育などの特化プログラムを実施
韓屋ラウンジは、それぞれ特化プログラムを運営している。

北村ラウンジの場合、北村の歴史と価値を紹介する「北村散歩公正観光案内プログラム」を通じて、正しい観光文化を拡散させている。
また、サランチェ(家長が生活してゲストを迎える空間)では、茶道体験やKポップで学ぶ韓国語クラスなどが行われる。
離れは、休憩スペースとして運営されている。

ソウル鍾路区楼下洞(チョンノグ・ヌハドン)に位置する西村ラウンジは、様々な分野の若いクリエイターが集まる地域的特性を勘案し、
ソウル韓屋住居文化「Kリビング」の価値を紹介する空間にした。
現代韓屋をリニューアルしたラウンジの1階を、Kリビングの展示空間として活用するやり方だ。
2階は、訪問者の休憩・読書空間として活用される。

ソウル市の関係者は、「今後も多様な事業を通じて、より多くの人々が韓屋の素敵さを楽しめるようにする方針だ」と話した。

イ・ソジョン記者 sojee@donga.com
Posted December. 13, 2023 10:11, Updated December. 13, 2023 10:11
https://www.donga.com/jp/home/article/all/20231213/4616980/1

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【K-折り紙】代表的な韓国文化「K-折り紙」をロシアに伝授 K-折り紙マスターが指導

1: 動物園φ ★ 2023/11/08(水) 10:33:57.13 ID:5ReYMBsS
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2023-10-30 08:57

紙文化財団・世界折り紙連合(理事長ノ・ヨンヘ)は24~28日、ロシア・タタールスタン共和国の首都カザンで「K-ジョンイジョプギ(※折り紙)」を紹介するイベントを開催したことを30日明らかにした。

折り紙体験にはカザン市内6つの小・中学校の学生及びロシア全域の小・中学校の韓国語教師などが参加した。

財団から派遣されたキム・ジュンヒョクジョンイジョプギ指導師範マスターが参加者に「K-ジョンイジョプギの活用事例」を紹介し、実際に王冠・福袋など様々なジョンイジョプギを教えた。

171学校(※学校名)のガリャクベロヴァ・ラーニヤ・ナキポフナ校長は「今学期に韓国語を受講する5~10年生の生徒が参加したが、K-ジョンイジョプギを通じて韓国文化をより深く知ることができてうれしい」と述べた。

6年生のムラット学生は「今回学んだ紙の王冠を作り、両親にプレゼントする計画」と喜んだ。

187学校(※学校名)の生徒を引率して教育に参加したアブドゥルバハボブ・カミル教頭は「韓流などで多様な韓国文化を知りたいという学生が増えているが、伝統と現代の両方を理解できる有益な時間だった」と話した。

ノ・ヨンヘ理事長は、「『K-ジョンイジョプギ』は手軽に韓国を世界人に知らせることができる代表的な韓国文化」とし、「韓国を深く理解する知韓派を育成するため、今後も継続して開催する計画」と紹介した。

現在、カザンにはカザン連邦大学および小・中学校12校で1千300人余りの学生が韓国語を学んでいる。

https://m.yna.co.kr/view/AKR20231030026400371

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【韓国歴史】 日本茶道文化の始まりとなった蔚山の「草庵茶道」

1: LingLing ★ 2023/03/15(水) 23:41:25.61 ID:1cwdSW7H
「蔚山(ウルサン)草庵茶道(チョアムタド)、日茶道文化の土台固めた」

地域茶道家チェ・ドクジュンさん 書籍出刊
広く茶道を伝播…雪岑(ソルジャム)禅師

塩浦(ヨンポ)の佛日庵に滞在していた日本人禅師
雪岑禅師から草庵茶道を学び
日に茶道文化を伝播したと主張

10月発祥の地、蔚山広報次元
草庵茶道作法試演大会計画

蔚山(ウルサン)塩浦(ヨンポ)から移り、日本茶道文化の始まりとなった「草庵茶道」について、蔚山ではよく知られてなくて残念に思います。この機会に蔚山が茶道文化の始まりとして照明されるように願います」

蔚山蔚州郡(ウルチュグン)彦陽邑(オニャンウプ)坪里(ピョンニ)で茶室を設け、茶碗製作のため窯を置いている茶道家チェ・ドクジュンさんが最近、蔚山から日本に「草庵茶道」を伝播したと知られた「雪岑(ソルジャム)禅師」に関する書籍<天地に茶道を伝播した時代を超越した永遠なる先覚者・雪岑禅師>を出した。

チェ茶道家は家の系譜を継ぎ、幼い頃から自然に茶道に触れるようになって、数十年前から各種文献を掘り起こし、茶道の歴史に関して深く研究してきた。

彼は「朝鮮成宗ソンジョン9年(1478年)、現在の現代自動車蔚山工場の地に蔚山塩浦倭館があった。その時、日本のトシモジウカイ(?)禅師が佛日庵を建てて滞在した。ジウカイ禅師が、慶州(キョンジュ)のヨンジャン寺の雪岑禅師を訪ねて草庵茶道を学びながら、縁が続いた」と話した。

以降、雪岑禅師はトシモジウカイ禅師の付託で、塩浦佛日庵にヨモギの茎と黄土で壁を建て、ススキで屋根を編んだ「草庵茶室」を建てる。3年間、塩浦佛日庵に滞在していたジウカイ禅師は、日本に帰って茶園を作って、雪岑禅師から伝え受けた草庵茶道を本国に伝播し、今の日本茶道文化の基礎になったということが、チェ茶道家の主張だ。今回の書籍にはチェ茶道家が数十年間、韓国と日本を行き来しながら収集した資料を基に、「茶道とクムオ茶室」、「茶堂」など12個の部分に分けて、雪岑禅師が日本に草庵茶道を伝播することになった事縁、草庵茶道の実体などを叙述している。

チェさんは「草庵茶道が伝播される前までは、日本では茶を飲む文化のみがあって、茶を飲むために炭をおこして、茶室を設ける方法など、茶道に関した法道がきちんと定められていなかった。雪岑禅師は日本茶道の基礎を伝達したのだ」と話した。

日本では雪岑禅師の伝播以前まで、形式主義書院式茶道にとどまっていたが、その後に草庵式茶道に変化し、素朴さと純粋さを基礎に凝集された精神世界の中で、美しさと満足を追求する精神主義茶道文化に変化していった。

チェ茶道家は、茶を飲む時に使用する茶碗に対しても深く残念な思いをみせた。彼は「私たちの茶碗は日本で『茶碗は朝鮮から来て、日本で花を咲かせた』と語るほど、様々な面から優秀だ。しかし、今は韓国内では茶碗を探す人も、作る人も見つけるのが難しい」と話した。

チェさんは、草庵茶道発祥地の蔚山を広く紹介するために準備委員会を設けて、今年の10月には草庵茶道発祥地である蔚山で、「草庵茶道作法試演大会」も開く計画だ。

彼は「蔚山塩浦は日本茶文化の始まりとも言える草庵茶道発祥地として、歴史的に意味深い。地理的に重要な位置であるにもかかわらず、今は痕跡のみが残っているくらいだ。今年の試演大会以降は塩浦に茶庵茶屋を作って、茶道発祥地蔚山を広く知らせたい」と話した。

ソ・ジョンヘ記者

慶尚日報(韓国語)
http://www.ksilbo.co.kr/news/articleView.html?idxno=963967

【茶道】 朝鮮の草庵茶が15世紀の日本に渡り日本茶道の源流に~『梅月堂・金時習』茶文化学術大会開催[12/17] [蚯蚓φ★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1639744089/
【韓国起源】 日本草庵茶は、梅月堂の草庵茶が源流… 千利休の「千」は朝鮮の氏姓、一休宗純の母は高麗宮女★2[04/21] [LingLing★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1619088835/

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