脱亜論

東アジアの政治、社会、経済、文化、防衛等についてのまとめサイト

2021年03月

【韓国】 90年に強いおわびの表明求める

1: 荒波φ ★ 2021/03/29(月) 09:27:25.00 ID:CAP_USER
【ソウル共同】

韓国外務省が29日公開した外交文書で、韓国政府が1990年に当時の盧泰愚大統領の訪日に先立ち、昭和天皇が84年に表明した内容を超える歴史問題での「具体的で強い」おわびの表明を、当時の天皇陛下が行うよう日本に求める方針を立てていたことが分かった。


3/29 09:23
https://this.kiji.is/749057612483821568?c=39546741839462401

続きを読む

【起源】「サムゲタンは広東料理」 中国、キムチに続きまた主張

1: マカダミア ★ 2021/03/29(月) 22:14:18.59 ID:CAP_USER
中国最大のポータルサイト「バイドゥ(百度)」が、参鶏湯(サムゲタン=丸鶏の中に韓方薬の材料やもち米を詰めたスープ)を中国由来の料理だと主張していることが分かった。29日現在、バイドゥで参鶏湯を中国語で検索すると、一番上に「参鶏湯は中国古来の広東式の家庭スープ料理」「中国から韓国へと伝わり、韓国の代表的な宮廷料理となった」というバイドゥ百科(中国版ウィキペディア)の説明が表示される。最近、中国でキムチ宗主国をめぐる論争が起きる中、参鶏湯についても自国の料理だという主張を展開しているのだ。

 参鶏湯が中国に由来するという主張は全く根拠がない。韓国農村振興庁によると、朝鮮王朝時代の鶏料理は水炊きが一般的で、日帝強占期に一部富裕層の間で流行した水炊きに粉末の高麗人参を入れる料理が参鶏湯の原型だ。1960年代以降に現在の参鶏湯の形になり、1970年代以降に韓国国内で大衆的人気を集めるようになったと推定される。

 バイドゥ百科が参鶏湯の原型だと主張する広東のスープ料理は、参鶏湯とは完全に異なる。広東のスープ料理は鶏・豚・牛肉と野菜を薬材と共に長時間煮込む薬膳スープ料理だ。中国では学校給食にも頻繁に出るほど一般的な料理だが、薬材の味が強く、肉は食べやすいように切ってから煮込み、夏ではなく冬に食べるのが一般的だ。鶏肉の中に高麗人参・もち米・ナツメを入れて土鍋で煮込む参鶏湯とは味、見た目、作り方、食べる時期、全て異なる。

 さらに韓国は参鶏湯HSコード(国際商品分類体系)を管理しているが、中国は参鶏湯を分類できる自国の基準すら明確ではない。2016年に韓国農林畜産食品部(省に相当)は食品医薬品安全処・韓国肉鶏協会・主要輸出企業と協業し、参鶏湯を中国に初めて輸出している。

 中国のインターネットが参鶏湯を中国由来の料理だと主張する理由は、ノイズマーケティング(悪い情報をあえて流して注目を集めようとする手法)を狙ったものだと分析されている。紛争を意図的につくり出し、韓国の伝統料理だというイメージを薄めようという意図の可能性もある。バイドゥ百科は中国のネットユーザーたちによる自由な内容修正・追加が可能だが、重要な問題については当局が厳しく検閲している。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/03/29/2021032980240.html

続きを読む

【韓国】黄砂とPM2.5でお先真っ暗

1: 動物園φ ★ 2021/03/29(月) 09:32:26.28 ID:CAP_USER
no title


no title


no title


続きを読む

【韓国】 米国首都ワシントンで満開になった桜、済州の王桜だろうか 日本は戦後に立場を変えた

1: LingLing ★ 2021/03/29(月) 17:12:37.52 ID:CAP_USER
美首都ワシントンで満開した桜、済州島漢拏山(ハルラサン)王桜花だろうか
-桜は日本の国花だが世界で最も有名な桜祭りはアメリカのワシントンで開かれる

米国の首都ワシントンを横切るポトマック川周辺では、この時季になると、4000本以上の桜の木が一斉に花を咲かせる。川岸はうすい桜色の天地に変わり、恍惚の境地を演出する。桜は1912年、日本から友情の贈り物として届いた3000本以上の木々がその始まりだ。日本は自国の国花を米国の首都に大量に送り、ワシントンでは100年以上過ごし桜祭りが開かれている。祭りには毎年100万人を超える観光客が訪れる。今年は「コロナ19」の流行で訪れる人が大幅に減ったが、桜はいつもと変わらずに白いつぼみを咲かせた。

ところが、ワシントンのこの桜が済州・漢拏山で採集されたという主張がある。
東洋美術史学者ジョン・カーターコベル(1910~1996)博士は、生前に発表した文で、「日本の東京市長が1910年、荒川周辺の桜の木をワシントンにプレゼントしたが、害虫ですべて絶えた。日本は新品種の桜の木を再びプレゼントしたが、この時の桜は済州島で採集したもので、米国の風土で強く生き残ると考えた」と明らかにした。

実際に1910年1月6日、シアトルの港に到着した日本産桜の苗木は、検疫過程で病害虫に侵されたのが確認され、ウィリアム・タフト大統領の命令で全て焼却された。 ところが、わずか14ヵ月後の1912年2月14日、3020本の苗木が再びシアトルに到着し、ワシントンへ運送した。 短期間で数千本の桜の木を再び集めることができたかという問題、米国政府が日本産桜の安全性に敏感に反応した事実を考えれば、コベル博士の見解に耳を傾けるようになる。
後に、米農務省で実施した桜の遺伝子検査でも、済州の王桜の花とワシントンの王桜の花が同一の塩基配列を持っているという事実が確認されている。

日本は1930年代まではこのような事実を認めていたが、解放以降、ワシントンと済州の桜の木が違う種子だと立場を変えた。1945年までは韓半島が彼らの占領地だったが、解放後には立場を一度再整理する必要があっただろう。 同様に、私たちも「ワシントンの桜は本来は私たちの地で生まれたものだ」と声を高めているのは確かだ。奪われた土地から、私たちの意思とは関係なく立ち去った花だった。

チェ・ジョンドン記者

ソース 中央日報(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=025&aid=0003088955
米国の首都ワシントンを横切るポトマック川沿いに、日本が100年以上前に寄贈した桜が満開になった。後ろにジェファーソン記念館が見える。AFP =連合ニュース
no title


【韓国】 日帝残滓である桜祭りの名称を、『春の花祭り』に変えよう。ムクゲの植樹キャンペーンをすべき。ホン・ムンピョ議員 ★2 [3/24] [昆虫図鑑★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1616539137/

続きを読む

【韓国】K-フード神話を築いた『ラーメン王』=農心のシン・チュンホ会長が死去

1: ハニィみるく(17歳) ★ 2021/03/29(月) 10:02:34.99 ID:CAP_USER
(写真)
no title

▲ 1982年、カップ麺発売試食会議中のン・チュンホ会長。
_______________________________________________________

『辛ラーメン(シン・ラミョン)』や『セウカン(えびせん)』神話を築いた農心(ノンシム)の創業者、シン・チュンホ(辛春浩)会長が去る27日に死去した。享年92歳。

1930年に蔚山(ウルサン)で生まれたシン会長は1965年に農心を創業して以降、56年間会社を率いてきた。シン会長はロッテグループの創業者である故シン・ギョクホ(辛格浩=重光武雄)ロッテグループ名誉会長の2番目の弟。

1958年に大学を卒業した後、日本で成功を収めたシン・キョクホ会長を支えて製菓事業を開始した後、1963年から独自の事業を模索し、当時日本で簡単に調理できるラーメンが大きな人気を集めたことに注目し、『農心』を創業した。彼は農心を創業した後、辛ラーメンやチャパゲティ(韓国風ジャージャー?)、セウカンなど、国民的に愛される製品を相次いで開発した。シン会長の力作である辛ラーメンは現在、全世界100か国以上に輸出されている。

一方でシン会長が死去したことにより、半世紀以上続いた農心家とロッテ家の確執が解けるか否かに注目が集まっている。シン・チュンホ会長は1965年にラーメン事業の推進をめぐり、ロッテグループのシン・ギョクホ会長と対立した末、ラーメン会社であるロッテ工業を設立してから独立した。だがしかし、シン・ギョクホ会長がロッテの社名の使用を禁止すると、1978年に社名を農心に替えてロッテと決別した。

ソース:嶺南日報(韓国語)
https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20210328010004244

続きを読む
スポンサーリンク


アーカイブ
ブログランキング
スポンサーサイト










記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスランキング
メッセージ

名前
メール
本文
スポンサーサイト