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英雄

【韓国】独立運動家・安重根の死去から114年

1: 朝一から閉店までφ ★ 2024/03/26(火) 16:26:48.75 ID:HZi7zezC
独立運動家・安重根の死去から114年

【写真】
初代韓国統監を務めた伊藤博文元首相を中国・ハルビン駅で暗殺して死刑になった独立運動家、
安重根(アン・ジュングン)の死去から114年となる26日、ソウル市内の安重根義士記念館で追悼式典が開かれた。
安重根の遺影に敬礼する出席者=(聯合ニュース)

https://m-jp.yna.co.kr/view/PYH20240326130100882

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東郷平八郎元帥は本当に朝鮮・李舜臣を尊崇していたか?→ウソである疑いが濃厚

1: 昆虫図鑑 ★ 2024/02/04(日) 16:31:04.55 ID:YcrJvlHy
(略)

ご注目いただきたいのは、「東郷元帥が言った」としている「おほめにあずかって恐れいるが、私にいわせればネルソンといいうのはそれほどの人物ではない。真に軍神の名に値する将軍があるとすれば、それは李舜臣ぐらいのものであろう。李舜臣に比べれば自分は下士官にも値しないものである」という言葉です。

本当にこんなことを言ったのか?です。

これは『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』の「はじめに」に登場する文ですが、書き手の「私」が誰なのかクレジットされていません。

この本は、左巻きの皆さんが「北朝鮮との友好、日韓基本条約締結阻止、中国人民との連帯」を目指して書いた本なので、中には「朝鮮は素晴らしい」「日本はこんなに悪い」という項目が書き連ねてあります。

この「朝鮮は素晴らしい」の中の一つとして、「あの東郷平八郎元帥も李舜臣さんを尊崇していた」が入っているわけです。

この本『日・朝・中三国人民 連帯の歴史と理論』の刊行は1964年です。つまり、1964年にはすでに「東郷元帥が言った」ことになっていたわけです。

しかし、実はこれはウラが取れません。

司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』にまで「東郷元帥が李舜臣を尊崇していた」みたいな話が登場しますが、史料にはそのような発言は見つかりません。全部が伝聞で、本当かどうか分からないのです。

「誰が言い出したんだコレ」であり、現在では「誰かが作ったウソなんじゃないのか」と疑われています。

そのため、さすがに韓国でも「東郷提督が李舜臣を尊崇していた」みたいな話は、あまり聞こえてこなくなっています(ただし日本軍を破った※英雄として、韓国では李舜臣は絶対的な存在です)。

史書を読むと、李舜臣さんの戦果は限定的なものだったと分かります。朝鮮半島で英雄と持ち上げられたのは、日本併合時代を経て(さらには戦後)のこと。

日本人はすっかり忘れていますが、実は李舜臣さんは、「江戸時代」に日本でこそ高く評価された人物なのです。

日本では江戸時代に盛んに読本が作られましたが、朝鮮征伐の物語には「向こうにも強い将軍がいたんだぞ」というキャラクターが必要で、そのために持ち上げられたのが李舜臣さん――という建て付けです。

今でもそうですが、主人公を輝かせるのは強い好敵手ライバルです。

李舜臣さんが韓国で英雄になってしまったのは、以下のような経緯であったと推測できます。

1.江戸時代に読本などで「李舜臣はすごい好敵手であった」と評価が高まる
(日本人の方が李舜臣に詳しくなる)

2.日本人から「お国には李舜臣というスゴイ将軍がいたそうですな」と言われる

3.「(よく知らないけど)そうなんですよ! よくご存じですな」と言ってしまう

4.併合時代に李舜臣さんが朝鮮半島でも広く知られるようになる

5.「実は東郷平八郎提督も李舜臣を尊崇していた」という話が捏造される

6.「李舜臣さんは東郷提督も尊敬していた世界的な将軍だ」と間違った認識が確立する

7.李舜臣さんは「日本軍を破った世界的な偉人」になってしまう

⇒もう後には引けない

https://youtu.be/VV2el66Lg9A


↑YouTube『moviecollectionjp』チャンネル「豊臣秀吉による朝鮮出兵、最大の海上決戦が今始まる/映画『ハンサン ―龍の出現―』本編映像」

8.上掲のような3部作の映画までできてしまう(←今ココ)

――というわけで、ウラが全く取れないので、あったことになっている「東郷元帥の言葉」なるものはウソである疑いが濃厚です。もっとも「なかった」という断言もできませんが、現在では眉唾と見られています。

面白いのは、韓国で「救国の英雄」とされている人物は、もともと日本で高く評価され、それが朝鮮半島にも逆輸入されて現在のような価値あるものになった――という点です。

まさに『おばあちゃんは歴史家じゃない』なのです。

(吉田ハンチング@dcp)
https://money1.jp/archives/121201

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【韓国映画】日本の初代首相・伊藤博文を暗殺した”安重根”テーマの映画「英雄」、試写会を開催

1: ばーど ★ 2022/12/23(金) 08:14:33.08 ID:SnIxk2HR
日本の初代首相・伊藤博文氏を暗殺したアン・ジュングン(安重根)をテーマにした映画「英雄」の試写会が、韓国で開催される。

 国家報勲処は21日、韓国では”民族独立の英雄”とされている安重根をテーマにしたミュージカル映画「英雄」の試写会をソウル・CGVヨンサン(龍山)アイパークモールで開催すると明かした。

 試写会には、国家報勲処のパク・ミンシク処長をはじめ安重根氏の孫や安重根崇拝会、独立有功者の遺族らおよそ100人が出席する。

 映画「英雄」は、安重根が伊藤博文初代首相の暗殺を準備する段階から死を迎える瞬間までの1年を描いた作品だ。

2022/12/21 14:16 wowkorea
https://www.wowkorea.jp/news/japankorea/2022/1221/10376485.html
no title


※関連スレ
伊藤博文を暗殺した「安重根熱風」が吹き荒れる2023年の韓国映画市場 日本にとっては非常に迷惑な話 [12/9] [昆虫図鑑★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1670541598/

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伊藤博文を暗殺した「安重根熱風」が吹き荒れる2023年の韓国映画市場 日本にとっては非常に迷惑な話

1: 昆虫図鑑 ★ 2022/12/09(金) 08:19:58.23 ID:IOFWbhMx
ミュージカル「英雄」や「愛の不時着」のヒョンビン演じる「ハルビン」など

 日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文は、1909年10月26日に中華人民共和国・黒龍江(こくりゅうこう)省・哈爾濱(ハルビン)市にあるハルビン駅で、大韓帝国の運動家である安重根(アン・ジュングン)に暗殺された。伊藤博文がハルビンを訪れたのは、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うためだったという。

 暗殺に関しては安重根単独説の他にも、伊藤博文が着用していたコートの弾痕から併合強硬派による謀殺だったのではないかという説や、遺体に埋まっていた弾丸がフランス騎馬隊カービン銃(歩兵用小銃より銃身が短い騎兵用小銃)用であったことから、フランスの仕業ではないかという説もある。暗殺から113年が経った今でも真相は謎に包まれたままだ。

 だが、一般的には安重根が殺したとされている。だから、日本で安重根と言えばテロリストという認識だ。だが、国を韓国に移せば、彼は民族運動の義士であり、ヒーローであり、現代の韓国人にとっては神のような存在の人物である。

 そんなテロリストであり、ヒーローでもある安重根が、2023年は韓国の映画市場で大暴れしそうだ。彼を主人公にした映画が立て続けに公開予定なのだ。

 まず封切りされるのは、2022年12月21日の「英雄」だ。これは安重根の生と死を中心に描いたミュージカル映画となっている。

(略)

 2022年11月20日には日本でも人気の韓国人俳優、ヒョンビンが安重根役を演じる「ハルビン」がクランクインした。公開日はまだ未定だが、早ければ2023年中に公開される予定だという。

 安重根が伊藤博文を暗殺したのが10月26日だから、この日の公開を目指しているのではないだろうか。先にご紹介した「英雄」は、10月26日に公開日が発表されたくらいだ。

(略)

 韓国では「英雄」「ハルビン」の他に、日本で起った1923年の関東大虐殺100周忌を記念して、「安重根特集ドキュメンタリー『召喚』、1923年9月関東」も制作される予定だそうだ。それほど“安重根”という素材は国民ウケが良いのだろう。

 最初にご紹介した「英雄」は大人気ミュージカルが原作である。2009年から公演が開始され、2022年12月21日からは9演目が予定されている。過去にはニューヨークとハルビンで海外講演も行われたほどだ。

 ついでにご紹介しておくと、金薫(キム・フン)という作家が書いた長編小説『ハルビン』は今ベストセラーにランキングされている。これは、映画化された影響もあるが、2022年5月に大統領職を退任した文在寅(ムン・ジェイン)前大統領が推薦した影響が大きい。

 小説の中に、「伊藤は死んだのか。伊藤が死んだら、私の命が伊藤の命の中に入って刺さったのだ」という有名なくだりがある。このセリフは多くの韓国人読者の心を震わせたそうだ。

 冒頭でご紹介したが、伊藤博文は誰の手によって暗殺されたのかはっきりと分かっていない。それにもかかわらず、韓国では安重根が伊藤博文を暗殺したと決めつけ、彼を英雄視し、彼を美化する映画やミュージカルを国内外に流している。

 韓国のエンターテインメント界はこのようなアピールが上手い。だから、フィクション映画を史実だと勘違いする人が増えてくる。日本にとっては非常に迷惑な話である。(羽田真代)

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73031

関連スレ
「愛の不時着」ヒョンビンの日本でのイベントが続々中止に、安重根役が原因か=韓国ネット「敏感すぎ」12/3 [ばーど★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1670075812/

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【朝鮮日報】 「帝国の心臓」日王宮に向かって爆弾投擲…日本が隠そうとした独立英雄キム・ジソプ義士

1: 蚯蚓φ ★ 2021/09/16(木) 20:43:51.94 ID:CAP_USER
no title

/グラフィック=アン・ビョンヒョン

最近、独立活動家キム・ジソプ(1884~1928)義士(国と民族のために献身した義に徹した人)が監獄で家族に書いた手紙四通が文化財登録されるというニュースが出ました。キム義士は手紙で投獄された同志の安否を尋ね、妻には面会にくるなと頼みました。

キム・ジソプ義士はユン・ボンギル義士やイ・ポンチャン義士に比べて相対的にあまり知られていない人物です。修能模擬試験や公務員試験で「義烈団独立闘争」をした人物の例示などに時々登場しますが、そのたびに受験生が「誰?」と首をかしげるほどです。

彼は東京の日王が暮らす王宮に爆弾を投げた独立活動家ですが、日本の立場ではあまりに衝撃的な事件であったため、最大限、事件自体に言及せずに隠そうとしたといいます。

今日はキム・ジソプ義士について調べてみます。
(中略:経歴)

義烈団員キム・ジソプは朝鮮総督府と東洋拓殖会社など国内の主要な日帝施設を破壊するために1923年、爆弾36個を朝鮮に持ちこもうとしました。軍資金募金も同時に推進しました。しかし、日本の警察がこの事実をあらかじめ知り同志たちが逮捕され計画は失敗しました。

そのような1923年9月、日本で悲劇的なことが発生しました。関東大地震が起きて多くの犠牲者が発生するとすぐに「朝鮮人が暴動を起こす」という流言が広がり、同胞6600人以上が日本人に殺害される「関東大虐殺」が起きたのです。

キム・ジソプはこの消息を聞いて嘆き「同胞の怨みの霊を慰める」ことを決心しました。その時、新しい便りが聞こえてきました。「来年初め、東京で開かれる‘帝国議会’に朝鮮総督も参加する!」日本の高官はもちろん朝鮮総督府の主な官吏までこの議会に集まるという。「それなら議事堂に入って傍聴席から爆弾を投げれば一度に日本帝国主義首脳部の多くの者を処断できるだろう!」

日本語に堪能なキム・ジソプは適任者だったが、爆弾を持って正常な経路で日本まで行くのは難しい。1923年12月、キム・ジソプは義烈団で受け取った爆弾3個を隠したまま上海から石炭運搬船に乗って日本に密航しました。10日間、船の倉庫で過ごしながら一日におにぎり1,2個を食べて持ちこたえたといいます。

しかし、実際に日本に到着すると帝国議会が延期されたという消息を聞き、密航の身で長く待てなかったキム・ジソプは「帝国の心臓部」である日本王宮に爆弾を投げることに計画を変えました。日王を直接暗殺できなくても、独立運動を広く知らしめる象徴的な効果を狙ったと見られます。

1924年1月5日午後7時、キム・ジソプは日本王宮を囲む日比谷公園に向かった後、ちょうど通り過ぎた野次馬二人と同行のように歩いていって王宮正門に近付きました。この時、彼を怪しく思った日比谷警察署警察官が防いで立って検問をしようとし、キム・ジソプは「近づくな」と叫んでスーツのポケットから爆弾一つを取り出し安全ピンを抜いて警察官に投げました。爆弾は爆発せず、残りの爆弾二つを取り出して両手に一つずつ持った彼は王宮正門前の二重橋に走りました。

王宮を守る衛兵二人が銃を向けながら飛び出し、キム・ジソプは残った爆弾を投げましたが、やはり爆発せず失敗しました。最初の爆弾は服の下の湿気で導火線が湿って作動せず、残りの二つの爆弾は安全ピンを抜けなかったといいます。彼は激闘の末、逮捕されました。

当時、この事実は日帝の報道統制で3ヶ月以上知らされなかったが、その後、朝鮮日報は1924年4月24日号外を発行してキム・ジソプの義挙を詳細に知らせました。その後、キム・ジソプは法廷で「3・1運動は日本に対する宣戦布告で、敵に捕えられた私としては決して降参しない」「正義を考えたら放免するだろうが、そうでないから死刑の外はない」として堂々とした姿を見せました。

1925年、無期懲役を宣告され1927年に懲役20年で減刑されたが1928年2月、監獄で突然殉国(国のために命を捧げること)しました。日帝は死因を「脳溢血」と発表しました。

キム・ジソプ義士は「自分の身体を犠牲にして独立精神を広く知らしめ、独立運動に活気を吹き込んだ人物」という評価を受けています。1962年、大韓民国政府はキム・ジソプ義士に建国勲章大統領章を追叙しました。

ユ・ソクチェ記者,キム・ヨンジュ記者

ソース:朝鮮日報(韓国語)[新聞は先生] [ニュースの中の韓国史] ‘帝国の心臓’向かって爆弾投擲…日本が隠そうとした独立英雄
https://www.chosun.com/national/nie/2021/09/16/UTMVTSQFNJHNDAHA2IZITJSJCU/

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