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歴史

【朝鮮日報コラム】 映画が歴史に勝ってもいいのか

1: 仮面ウニダー ★ 2024/02/05(月) 07:03:51.68 ID:JZ5PT4tR
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▲観客動員1000万人を超えた映画『ソウルの春』/NEWSIS
ー前略ー

 映画を見て戻ってきた夕方のこと。子どもたちは興奮していた。反乱軍に立ち向かって作戦を展開する軍人の姿が
かっこよかったと言っていた。劇中のイ・テシン(チョン・ウソン)のことを言っているのだった。
子どもたちに、劇中の人物のモデルは故・張泰玩 (チャン・テワン)将軍だが、実際には幸州大橋や光化門へ
部隊を率いて向かったことはない-と話してあげた。
クーデターが成功して新軍部が政権を掌握した後は公企業の代表も務め、後日、野党の国会議員にもなったという話を聞かせた。
一種の「ファクトチェック」をしてあげたわけだ。「お父さん、僕も映画と実際は違うことは知ってるよ」。
無心に語る子どもの様子に安堵(あんど)した。
だが、映画の中の虚構が、その小さな胸の内に事実のごとく根付くのではないかと引き続き警戒し、見守る気でいる。

 米国の学界で、映画の中の歴史が記憶に及ぼす影響を調べる実験をしたことがある。
大学生に『アマデウス』『ラストサムライ』といった歴史的背景を持つ映画6本の一部の場面を見せた後、
動画の誤りを指摘した文書を読ませた。
一定期間が経過した後に試験をしてみたところ、驚くべきことに、参加者の3分の1が、映画の誤った内容を事実(fact)として
記憶していた。これを訂正するのは決して容易ではなかった。動画にさらされるだけでも、記憶は容易に汚染されたのだ。
ニューヨーク・タイムズ紙は2015年、「映画の中の『事実』が勝つ理由(Why movie “facts” prevail)」という記事で
このことを紹介し、映画の中の歴史情報をそのまま受け入れてはならず、批判的に受容すべきだと主張した。
だが、映画というジャンルは、絶えずこれを妨害するのが特徴だ。

 韓国は、歴史解釈の権限を巡ってヘゲモニー争いが激しい国だ。
特に現代史分野において、韓国映画界はこれまで極めて積極的なプレーヤーとして活動してきた。
『ソウルの春』以前にも『光州5・18』(2007)、『南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~』(2012)、
『タクシー運転手~約束は海を越えて』(2017)、『1987、ある闘いの真実』(2017)など、既に長いリストが存在する。
まるで韓国の全国民を対象に、映画を通した「記憶実験」をしているようなもので、1980年代を題材にした映画はことのほか多い。

 ひとたび映画として作るとなると、ドキュメンタリーではない以上、事実の加工やドラマ的要素の加味は避けられない。
映画は、この過程で、遠慮なく歴史を犠牲にしたり損なったりする。
「映画の中の虚構は実際の人物や事件とは関係ありません」という類いの文言は、たいして効果もない。
虚構は、人々の記憶の中でリアルと混じり合い、一つの時代に対する「集団記憶」を新たに再構成する。
ここでは、青少年をはじめ当時まだ生まれていなかった世代までが、映画を通して当時を疑似体験している。

 このような映画が登場し続けているのを見ると、386世代(1960年代に生まれて80年代に大学へ通い、90年代に30代となった世代)
に代弁される特定世代の世界観は、こうしたやり方を通して文化的遺伝子として後世に伝えられるのだろう。
このごろは学校でデリケートな現代史の話をきちんと持ち出すこともできず、
映画が1980年代についての「歴史教育の現場」になっているわけだ。
次の世代が、こういう人々の偏った世界観にばかりさらされないように、豊かな文化的資産を残してやる方法を真剣に
考慮しなければならない。

シン・ドンフン記者
記事入力 : 2024/02/04 20:05
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/01/31/2024013180174.html

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【在日済州人】 日本で粗末なバラック小屋に暮らしながらも故郷愛…452億ウォンを寄付した

1: 仮面ウニダー ★ 2024/02/01(木) 06:17:17.32 ID:b6uzqnVv
中央日報/中央日報日本語版2024.01.31 13:52
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◇在日済州人が主管する新年の挨拶会に関係機関長が出席
#【写真】済州市翰林邑帰徳里にある在日済州人功徳碑
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新しい年が始まり、済州道(チェジュド)の呉怜勲(オ・ヨンフン)知事をはじめ済州の主要機関長が日本に総出動した。
101年前の日帝強占期に済州から日本に渡っていった在日済州人の献身と寄付のおかげで済州が発展したことに対して
感謝の挨拶をするためだ。

30日、済州特別自治道によると、呉知事は27日と28日にそれぞれ東京精養軒と大阪帝国ホテルで
在日本関東済州道民協会・関西済州特別自治道民協会が主管した新年の挨拶会に出席した。
この行事には金京学(キム・ギョンハク)済州道議会議長と金光守(キム・グァンス)済州道教育長、キム・イルファン済州大学総長、
姜秉杉(カン・ビョンサム)済州市長、李鍾佑(イ・ジョンウ)西帰浦(ソグィポ)市長、ヤン・ムンソク済州商工会議所会長らも
参加した。

この日、大阪市生野区では「済州-大阪直航路線100周年」(昨年基準)を記念してトルハルバン像1組
および銘板の寄贈・除幕式も開かれた。
トルハルバン像は100年前に済州と大阪をつなぐ連絡船「君が代丸」の就航を記念するために済州道が製作して日本に持ち込んだ。

◇1923年済州-大阪航路開設
毎年済州の主要機関長は年初に日本を訪れる。済州の発展に寄与した在日済州人の功労と影響力が大きいためだ。
1923年済州と大阪を定期的につなぐ済阪航路が開設されて済州人の日本への大移住が始まった。
日帝強占期に釜山(プサン)に下関をつなぐ関釜連絡船があったとすれば、済州には大阪を行き来する済阪連絡船があった。
在日同胞の故崔洋一(チェ・ヤンイル)監督の映画『血と骨』の最初のシーンは1923年船に乗った済州人が
工場の煙突が所狭しと立ち並ぶ大阪を見て歓呼する姿だった。

当時大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。産業化で工場地帯が拡張されてかなりの人手不足だった。
在日済州人は日本人が就職を敬遠するゴム・ガラス・金属・化学・紡織工場などで一日14時間以上働いた。

済阪航路開設以降、連絡船の利用客は爆発的に増えた。
就航初年度(1923年) は8340人に過ぎなかった連絡船の利用人員は1924年1万9385人、
1925年2万5552人、1926年2万9362人、1927年3万6087人、1928年3万1465人、1929年3万8078人と毎年増加した。その後、1945年光復(解放)当時、在日済州人は10万人以上にのぼったと推定される。
当時済州道の人口約20万人の半分水準だ。

◇在日済州人2000年までに452億ウォン寄贈
2022年済州大学が公開した「在日済州人第一世代生活実態調査報告書」によると、在日済州人は1989年11万7687人で
ピークを迎えた後、2021年7万4279人に減った。
これに対して済州大学側は在日済州人第三~四世代を経て日本に帰化する事例が多くなったためだと推定した。

在日済州人第一世代は川べりの捨てられた土地に粗末なバラック小屋を作って暮らしながらも故郷を忘れなかった。
済州に残った家族のために月給(約20円)の半分以上を送った。
あわせて故郷の発展のために1960年代から2000年までの間に9533件、452億6700万ウォン(約50億1040万円)
を寄付した。この寄付金は学校をはじめ病院・地域会館・道路の建設などに使われた。
ー後略ー

全文はソースから
https://japanese.joins.com/JArticle/314488

※関連スレ
韓国・済州島の守り神「トルハルバン」を大阪市に寄贈 定期航路100周年記念 [1/29] [ばーど★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1706516612/

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日本に謝罪要求もしない韓国政府…関東大震災「朝鮮人虐殺100周年」の今年ですらできなければ機会は消失

1: 昆虫図鑑 ★ 2023/12/26(火) 16:23:14.10 ID:BGVMNmC0
数多くの朝鮮人が無残に犠牲となった関東大震災からちょうど100年の今年9月1日、東京で在日本大韓民国民団(民団)主催の「第100周年関東大震災韓国人殉難者追念式」が開かれた。鳩山由紀夫元首相、山口那津男・公明党代表などが出席したが、韓国政府が出席に尽力していた菅義偉・日韓議員連盟会長、麻生太郎・自民党副総裁といった日本政界の実力者らはいなかった。岸田文雄首相の弔花もなかった。

 朝鮮人虐殺問題は過去100年間、幾つもの証拠と研究資料を通して数え切れないほど確認されてきた。だが日本政府は「事実を確認するのは困難」という立場を固守している。今年も、過去の文書を根拠とする野党・メディアの問いがたびたびあったが「確定的なことを申し上げるのは難しい」と避けて通った。日本政府の報道官を務める官房長官は「政府の調査に限定すると、事実関係を把握できる記録は発見されなかった」と述べた。

 さらにとんでもないのは、被害の当事者たる韓国政府が、日本に対して積極的な姿勢で謝罪を要求していないということだ。外交部(省に相当)報道官が、100周年前日の8月31日に「日本に真相調査の必要性を提起し、真相究明のための資料提供を要請したところ」とし「今後も必要な調査を検討していく予定」と述べたのが全てだ。上海臨時政府は関東大震災直後に調査要員を日本へ派遣し、1923年9月、朝鮮人虐殺に関する真相報告書と共に日本政府に送る抗議文を発表した。この臨時政府を継承する大韓民国政府がぐずぐずしている間に、日本の一部勢力は虐殺自体を否定する歴史歪曲(わいきょく)にまで乗り出した。

 英誌エコノミストは最近、「2023年、今年の国々(The Economist's country of the year for 2023)」という記事で、韓日両国を挙げて「協力の深化のために歴史に対する怒り(grievances)を一時棚上げすることとした」と、関係改善を評価した。過去より未来を見ようという韓国外交の方向性に共感し「韓国がまずコップを半分満たしたから、日本が残りの半分を満たしてほしい」という韓国政府の決断に拍手を送った。しかし、未来へ向かおうとするのであれば、過去の問題にも一段落つけねばならない。被害の当事者である韓国が、言うべきことは言わねばならない事案でも沈黙していたら、コップの残り半分は決して満たされないだろう。外交部は、こういう仕事をするためにある部門だ。

金隠仲(キム・ウンジュン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/12/26/2023122680092.html

【東亜日報】 「朝鮮人四十数人殺害」 関東大震災の公文書、新たに確認 [12/26] [仮面ウニダー★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1703559074/

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韓国人が習ってる 4世紀から7世紀の 韓国と日本(画像あり)😲

1: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US] 2023/12/18(月) 14:46:26.85 ID:hbqETRUU0 BE:659060378-2BP(7000)
sssp://img.5ch.net/ico/jisakujien_5.gif
画像
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https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/09/press20230929-04-photonic.html

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【毎日新聞】 復活した朝鮮通信使船を見に行った

1: 仮面ウニダー ★ 2023/11/13(月) 12:31:34.54 ID:VT/n97Vo
 韓国南西部の全羅南道(チョルラナムド)・木浦(モッポ)にある国立海洋文化財研究所。
海に面したこの研究所には、時代をタイムスリップしたかのような1隻の木造船が係留されている。

 長さは34.5メートル、幅は9.3メートルで「朝鮮通信使船」という看板が掲げられている。
同研究所が21億4000万ウォン(約2億3500万円)を投じて2018年に復元したものだ。

 朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で途絶えた国交を回復する目的で始まった外交使節団。
1607年から1811年までに計12回派遣された。江戸時代における日韓の友好関係を示すシンボルとなっている。
17年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、日韓の団体が共同で申請した朝鮮通信使に関する歴史資料を
「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録した。

 船へと案内してくれたのは、同研究所の洪淳在(ホン・スンジェ)学芸研究士(51)。洪さんは「3年がかりの作業でした。
残された文献や絵画をもとに設計し、造船工学的な分析を地道に重ねました。
実際の模型や3Dモデルを作り、材料となる木材にもこだわって、ほとんど当時と同じ姿に再現しました」と笑顔で振り返った。

 船内は、思っていたよりも小さかった。朝鮮通信使の歴史やその経路、船を再現した経緯が書かれたパネルが展示されている。
洪さんは「普段は船上博物館。一方でエンジンもしっかりと装備しているので、市民を乗せる遊覧ツアーも実施しています」と語っていた。

 木浦で若き日々を過ごした金大中(キム・デジュン)元大統領(1924~2009年)。
その人生に触れる取材を終えて、少し足を伸ばしたのは、この船が8月に釜山から長崎県対馬へと渡ったからだ。
直線距離だと約50キロ。現地では、通信使の「正使」が「国書」を日本側に手渡す行事も行われ、
「1811年から212年ぶりに朝鮮通信使船が日本に入った」と報じられた。
ー中略ー

 鄭さんは、昨年5月に就任した尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が日韓関係の改善を積極的に進めた決断も率直に評価していた
。そして、こう言葉を継いだ。「両国が歴史和解を成し遂げて、信頼を深めながら、
互いの繁栄と東アジアの平和的発展を引っ張っていけばよい。
両国の国力に差がある垂直的な関係から、国力が均衡した水平的な関係に変わった今ならできるのではないか。
こんなチャンスは二度とないよ」

 最後に歴史を正しく読み解くために大切な視点や手法についても尋ねた。
「やはり、自分たちの歴史だけではなく、相手の歴史も知ることが大切。そうした作業を重ねながら、客観的に自分と相手を見つめる。
だから私は、日本人には韓国の歴史を、韓国人には日本の歴史を話すようにしている。両国にまたがる話もしますね」。
日韓の歴史共同研究などで中心的な役割を果たし、日本の駐在員たちへの歴史講座も長年、
地道に続けてきた鄭さんの発言にはうなずくところが多かった。

 先月22日、ソウル市内で開かれた日韓交流おまつり2023で、「劇団静岡県史」が披露した「徳川家康公と朝鮮通信使」
という演劇を鑑賞した。朝鮮通信使の道のりが、スクリーンに映し出される。
ソウル、釜山、対馬、下関、神戸、大阪、京都、彦根、名古屋、静岡、小田原、東京(江戸)。
歴史の奥深さに加えて、空間的な広がりを力にできるのではと感じた。

 鄭さんが「両国には朝鮮通信使に関する資料が、各地に多く残されている。
日韓国交正常化60周年となる25年に大規模な展示会を両国で開き、
そこに両国首脳が訪問すれば互いの友好を実感できる機会となるはずだ」と話していたのも思い出した。

 日本では衆院解散・総選挙が視野に入り、韓国では来年4月に総選挙がある。
その結果は日韓関係にも影響を与えるだろうが、朝鮮通信使をめぐる交流が、政治の変化に左右されることなく
「善隣友好」を支えていくことに期待したい。【ソウル支局長・坂口裕彦】

11/11(土) 10:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c423c70b53db1b3db46b6655c33c0405e336dfb

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