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【風水呪物】 日帝の鉄杭除去に市民が動いた~木浦市も鉄杭調査と除去作業開始

1: 蚯蚓φ ★ 2020/11/27(金) 12:31:00.14 ID:CAP_USER
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話題の人物/儒達山日本鉄杭削除運動(2)市民活動家キム・ジェシクさん
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木浦(モクポ)儒達山(ユダルサン)露積峰(ノジョクポン)一帯に日帝強制占領期間中、打ち込まれたと推定される数十余りの鉄杭が市民の努力で一つ二つ除去されている。木浦市はこれまで日帝鉄杭除去運動を広げてきたキム・ジェシク氏など市民活動家の提案を受け入れ今月21日土曜日朝9時から鉄杭調査と除去作業に入った。

この作業がある程度成果を見せれば、これまで儒達山の景観を損ね、市民の通行まで邪魔してきた複数の鉄杭が除去され、より親自然な儒達山を回復するだけでなく、木浦の自尊心を回復する契機になるものと見られる。

日帝鉄杭とは日本が我が国を強制占領し、私たち民族の気を切るという理由で全国各地に鉄で作った巨大な穴鍼などを打ち込んだものだ。風水地理的に韓半島の主な血脈である場所でこのような鉄杭がたくさん発見され、韓半島のあちこちで日帝の蛮行だという証言がたくさんあって長いあいだ市民が鉄杭除去を要請してきた。

日帝鉄杭除去が本格的に問題になったのは1980年代中盤、市民の自発的な努力と1990年代中盤、金泳三(キム・ヨンサム)政府の時の民族精気を正す運動次元からだ。その成果、白雲台(ペクウンデ)の鉄杭は日帝侵略の象徴物として独立記念館第3展示館に展示されている。

全国各地の鉄杭は現在、穴鍼だけでなく土地測量用三角点、悪鬼を追う風水用杭、軍部隊が打ち込んだもの、木材電柱支持用、鉱山資材運搬用という様々な証言もあって、実際に使われたと見られるものが複数ある。

月刊「山」1985年10月号で風水家チェ・オジュン氏は「白雲台鉄杭は白頭山(ペクトゥサン)から北岳(プガク)に入る気の脈を切る目的であり、漢江(ハンガン)の力を殺そうとした。ソウルの風水をちりじりに破ろうとする風水的呪術」と定義した。

儒達山鉄杭除去の試みは数十年間進められてきたが完全除去にまでは至っていなかった。一部の鉄杭の用途をきちんと検証する調査がなかったためだ、ただし様々な関連文献を見れば1995年2月15日から8月14日まで6ヶ月間、全国から受け取られた日帝鉄杭チュ・ミンシンとは全439件この中で日帝の鉄杭と明らかになって除去された鉄杭は8月末現在、全国13地域18本だったという。

国内メディアの取材を調べてみれば「鉄杭専門家ク・ユンソ会長が木浦儒達山に日帝鉄杭が大量に刺さっているという情報提供を受けて現場踏査をしてみると、日帝が打ち込んだものではなく街灯や展望台など構造物設置の時に打ち込んだものを除去せずに起きた誤解であった」という記録も出てくる。

1980年代中盤から儒達山の杭を除去しようという意見が断続的に提起されたが、今回のように市民運動次元で確実な調査と除去までは結びつかなかった。

フェイスブックに露積峰鉄杭が自然景観を損ない、市民に背筋が寒くなる様な気分にさせるとずっと動画で知らせてきたキム・ジェシク氏は「鉄杭に対する調査をもう少し綿密にして除去作業も露積峰一帯の岩が毀損されないよう専門的にしたら良い」という意見を伝えた。

記者がキム氏とともに見て回った現場は鉄杭が打たれた跡、セメントで埋めた跡、真っ赤なペイントで円を描くなど汚く、ある岩の場合、市民が倒れたりひっかかって大ケガする危険まであることが確認された。

他の地域では「日帝が朝鮮の土地測量のために打ち込んだ測量機構で使った鉄杭も発見されたが、これも朝鮮の土地を日帝が強奪した道具の跡だ」と記録されている。

/チョン・テヨン記者

ソース:木浦トゥデイ(韓国語)木浦(モクポ)、露積峰(ノジョクポン)日帝鉄杭除去“市民が動いた”
http://www.mokpotoday.com/default/index_view_page.php?part_idx=&idx=103566

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【属国】「東方礼儀之国は称賛ではなく侮辱的表現」独立門広場で「独立門123周年記念式典」開催「中国の夢は悪夢」

1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ Let it be です 2020/11/25(水) 17:31:37.74 ID:CAP_USER
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 21日午前11時、ソウルの独立門で「独立門123周年記念式典」が開かれた。保守系団体「未来代案行動」と「国民労働組合」が主催した今回の行事では、千英宇(チョン・ヨンウ)元青瓦台(韓国大統領府)外交安保首席が記念演説を行い、香港と台湾の人権活動家らがメッセージを送った。もともと独立門が建立された目的は「中国からの独立」にあるだけに、今回の行事でも反中メッセージに重きが置かれている。

 千英宇・元首席は記念演説で「独立門は123年前、日本ではなく中国から独立したことを記念するため、徐載弼(ソ・ジェピル)先生が建てた記念物」だとし「徐載弼先生が、迎恩門と慕華館を取り壊してその跡地に独立門を建てたのは、中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打って近代的な自主独立国家としてよみがえろうという意思を内外に確認させるため」と語った。

 さらに千・元首席は「およそ120年前に日本の覇権から朝鮮の独立を守ることが至上課題であったように、今後は中国の覇権的横暴から韓国を守ることが外交安保政策の最大の宿題」「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2017年に北京大学で演説した際、中国を高い峰、韓国を小さな木と描写して大韓民国を小韓民国におとしめ、中国の夢に韓国も共にあるとだろうと言った。中国の夢は、韓国が命懸けで避けなければならない悪夢」と語った。

習近平国家主席が言及した「偉大な中華民族の夢」とは、中国が支配する東アジアの秩序に逆戻りしようというものであって、韓国にとっては韓米同盟を解体し、親中屈従を前提とした新・朝貢関係へ戻ろうという内容だ-と千・元首席は主張した。

 千・元首席は、中国に立ち向かうための韓国、米国、日本の同盟と協力を強調した。次いで「東方礼儀の国」という言葉の含意を指摘し、中国に対する正しい認識が必要だということを指摘した。

 「韓国人の精神世界において、日本に40年間国権を奪われたことは骨に染みる恥辱として残っているのに、中国の属国として500年過ごしたことは悔しがらない傾向があります。属国の中でも中国によく仕えて他の模範になるという意味で、中国は朝鮮を『東方礼儀之国』と呼びました。ところが、これが朝鮮にとってどれほど侮辱的な表現であるかを理解せず、中国の称賛と考える間抜けな人々もまだいます」

 この日の行事には、香港のある民主化運動家も匿名でメッセージを送ってきた。この人物は「韓国と台湾、そして日本など東アジア諸国が連帯し、中共の対外膨張と帝国主義に対抗することを希望する」とし「われわれの『次』になることを望まないのであれば、常に目覚めていてほしい」と伝えた。


鄭佑相(チョン・ウサン)記者

チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2020/11/24 11:01
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/11/24/2020112480038.html?ent_rank_news

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古代日本の主流氏族の26%が渡来系、朝廷の一軸を成す 「韓国系など才能のある渡来人の子孫を重用」

1: 令和大日本憂国義勇隊(栄光への開拓地) [IT] 2020/11/21(土) 19:51:18.40 ● BE:828293379-PLT(13345)
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9世紀始めの日本の主流氏族の約26%が韓国系だったという研究結果が公開された。三国時代を前後して韓半島に渡ったいわゆる渡来人の後裔の多くが天皇制国家支配体制の一軸を成すほど融合した存在だったということだ。

東北アジア歴史財団が最近出版した『新撰姓氏録 訳註本』によると、当時、事実上、日本の支配階層を構成した氏族1182氏のうち313氏が韓半島から来たことが確認された。彼らは、戦争、権力闘争、自然災害などによって新天地を求めて移動し、または対日外交や政治的目的で派遣されて定住した韓国系の子孫だ。

『新撰姓氏録』は、平安時代を開いた桓武天皇(781~806)が799年に編纂を命じて815年に完成された古代氏族名鑑。遷都した平安京(京都)と畿内(都や皇居に近い地域を指す呼称)に居住する氏族1182氏の系譜を記録した。8世紀末、奈良時代の政治的混乱の中、平安遷都を行った桓武天皇が主要氏族の系譜を把握し、支配秩序を強化して社会の安定を図るために編纂したという見方が支配的だ。

桓武天皇は、2001年に天皇陛下(当時)が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べ、注目された。

同書は、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族(皇別)、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族(神別)、渡来人系の氏族である諸蕃で構成されている。諸蕃で韓国系氏族は百済104氏、高句麗41氏、新羅9氏、任那9氏の163氏で、中国系氏族は漢163氏。これまで韓国系氏族はこの163氏だけとされた。

しかし、東北アジア歴史財団のヨン・ミンス前歴史研究室長(63)を責任者とする研究チーム(韓国教員大の金恩淑名誉教授、釜山経済大史学科の李根雨教授、漢城大人文科学研究院のソ・ボギョン特任教授、忠南歴史文化研究院のパク・ジェヨン研究室長)が2014年から7年間、新撰姓氏録や日本書紀などの過去の史料を対照、検証した結果、中国系163氏のうち150氏が韓国系だったことが明らかになった。韓国系の氏族が漢や秦の系統の子孫だと主張した。

ヨン氏は、「当時、日本の朝廷は、韓国系など才能のある渡来人の子孫を重用し、いわゆる多国籍官僚群を形成した」とし、「同書は、古代日本の韓国系氏族史研究はもとより韓国古代史の外縁を広げるうえでも有用だ」と話した。

https://www.donga.com/jp/List/article/all/20201118/2244640/

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【中央日報】 115年前の日本の大韓帝国外交権剥奪が無効である理由

1: 荒波φ ★ 2020/11/12(木) 13:31:46.48 ID:CAP_USER
1905年11月20日の皇城新聞に掲載された「是日也放声大哭」と国権を失った悲しみを吐露した張志淵(チャン・ジヨン)。[中央フォト]
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立冬が過ぎた。冬に入る時期だ。冷たい風に落ち葉が飛ばされる。落ちていく葉の痛みと残された枝の寂しさ。11月は一年の中で冬の入り口だ。同時に一時代の冬の入り口でもある。

大韓帝国の冬は11月に始まった。1905年11月18日0時ごろ、慶運宮の夜空は乙巳勒約の現場を見守った。日本の特使の伊藤博文は韓国政府に韓国外交権日本委託条約案を強要した。ついに衝撃的な勒約の話が広まった。

人心は怒った。五賊の処罰と勒約の取り消しを要求する上訴が続いた。皇城新聞11月20日の論説「是日也放声大哭」は抗日言論に火をつけた。

論説は激しかった。「四千里の領土と五百年の宗社を他人に奉献し、二千万の民を他人の奴隷にする、犬豚にも劣る」韓国の大臣を糾弾した。

「我々の二千万の奴隷になった同胞よ、生きているのか死んでしまったのか、檀紀以来四千年、国民の精神が一夜にして突然滅亡してしまったのか」と悲しんだ。

論説は「痛哉、痛哉、同胞、同胞」と叫んで終わった。

◆「是日也放声大哭」の絶叫、今でも悲痛

皇城新聞が閉鎖されると、大韓毎日申報が闘争を続けた。皇城新聞に掲載された勒約の顛末に関する記事を入手して22日から25日まで連載し、27日にはこの事件の顛末を整理して号外を出し、勒約が不当であることを布告した。

号外はそれぞれ「韓日新条約請諦顛末」という漢字の記事と、「THE MAKING OF A TREATY AND THE PASSING OF AN EMPIRE」(条約締結と帝国滅亡)という英語の記事だが、勒約の顛末に関する内容だった。

「是日也放声大哭」を英語で鑑賞したい人はこの号外を読めばよい。

ここで少し条約締結顛末の記事を見てみよう。11月11日に親書を奉呈した伊藤は、15日に高宗(コジョン)を謁見し、16日に韓国の大臣らを招請して3つの条項の条約案締結を要求した。

韓国外部(外務部)の廃止、韓国外交権の日本委託、駐韓日本公使の統監改称が主な内容だった。17日に駐韓日本公使の林権助は韓国政府の大臣を招請し、同じ要求を繰り返した。

林は御前会議の開会を要求したが、参政大臣の韓圭ソル(ハン・ギュソル)は政府会議で決める問題であり御前会議は必要ないと拒否した。

林はすぐに慶運宮に直行して大臣らに御前会議の開会を要求し、まもなく日本軍が宮廷に乱入して高宗(コジョン)の居所がある漱玉軒に進撃して銃剣で包囲した。

続いて現場に到着した伊藤は御前会議を要求したが、参政大臣の韓圭ソルは応じず、高宗も必要ないから大臣と協議すべきとして拒否すると、その場で議論し、条約案に関する文言修正と大臣一人一人の意見を受けた。韓国外部に日本軍を送り、官印を強奪して条約を調印した。

顛末を読んでみると、疑問が生じる。この日、政府会議は開かれたのだろうか。強圧的な雰囲気だったが、とにかく政府会議を通じて条約案の可否が決定されたのか。しかし政府会議が開かれたという証拠はない。

甲午改革期間の「内閣官制」もそうだったが、大韓帝国期の「議政府(ウィジョンブ)官制」によると、国際条約は議政府会議を通すと明示されている。乙巳勒約の場合、16日に日本公使館から韓国外部に条約の提案が入ってきたが、議政府会議は開かれなかった。

議政府会議とは何か。「議政府会議規定」には具体的な会議手続きが記録されている。首席大臣が開会を宣言すれば、主務大臣の議案説明と討論を経て、各大臣が可否標題を終え、首席大臣がこれを集めて多数意見に基づき自らの意見の標題を終え、閉会を宣言する。

首席大臣と主務大臣が署名した上奏案(政府原案+討論記録+可否標題)は、御押と御璽で皇帝の裁可を受けて官報に頒布される。

中央日報日本語版 2020.11.12 12:10
https://japanese.joins.com/JArticle/272219

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【書籍】 韓半島系氏族150種追加、古代日本氏族の26%は韓半島系~「新撰姓氏録訳注本」韓国で発刊

1: 蚯蚓φ ★ 2020/11/11(水) 22:50:31.05 ID:CAP_USER
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▲「新撰姓氏録訳注本」各巻711~744ページ.各巻4万~4万2千ウォン.

東北アジア歴史財団が古代日本支配層の氏族系譜書である「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」訳注本、上・中・下3冊を出版した。

新撰姓氏録は古代日本のワンギョン(王京・首都)および周辺地域に居住した1千182種の本貫、事績、先祖の由来などを載せた系譜だ。8世紀末、平安時代(794~1185)を開いた桓武天皇(日王)の命で編纂を始めて815年に完成した。

出版研究責任者であるヨン・ミンス博士は11日、聯合ニュースとの通話で「この本は家系図と似ているが、先祖の事績、天皇家に対する奉仕の根源と由来を記録し、政治的性格が強い」と説明した。さらに「当時、日本天皇が中央に居住する氏族の記録を集めたことは天皇制国家の存続と支配秩序を維持するためであった」と付け加えた。

同書は「天皇家」の氏族であるファンビョル(皇別)、日本神話中の神々を元祖としたシンビョル(神別)、外国系(渡来系)氏族の子孫である諸蕃の順に収録されている。皇別335種、神別404種、諸蕃326種で、先祖が確実でない氏族は「ミジョンジャプソン」(未定雑姓) 117種に分類された。

ヨン博士は「外国系である諸蕃の場合、王権の中心部で社会の主な構成員であり専門集団として活動した」と説明し「これは日本古代王権が出身を問わず人材を迎え入れて活用した側面をのぞくことができる」と付け加えた。

ヨン博士は特に今回の訳注作業を通じて韓半島系氏族150種を新たに明らかにしたと主張した。

彼はこの結果が多様な関連資料を分析して得たとして「100%ではないが90%以上はちゃんと探し出したと見る」と説明した。彼は「今回、新しく探した氏族の相当数は先祖の出身国を変えて日系や中国系に編入した氏族で、社会的に有利な条件を持つために身分を洗濯したと見られる」と説明した。既存の韓半島系と知られた氏族は163種だった。

本には外国系氏族が中国、百済、高句麗、新羅、伽耶の順で記録されている。今回の調査によれば韓半島系は百済系が202種と最も多く、高句麗系52種、新羅系48種、伽耶系10種、古朝鮮系1種だ。

このように見る時、古代日本氏族全体で韓半島系は26%に達したと推定される、とヨン博士は説明した。

今回の訳注集執筆参加者は「古事記」「日本書紀」「続日本紀」等、古代日本の正史や律令集、各種古記録と古文書、碑文、木簡など日本古代資料の大部分を探して研究したという。

ヨン博士は「新撰姓氏録は韓半島系移住民の日本古代社会定着および同化過程、2世と3世の人生と意識をのぞくことができる資料」としながら「現在の在日韓国人、朝鮮族、高麗人、その他海外同胞の問題を調べる次元で意味がある」と明らかにした。

[聯合ニュース]

ソース:毎日経済(韓国語)古代日本氏族派閥で'新撰姓氏録'逆奏本発刊
https://www.mk.co.kr/news/culture/view/2020/11/1157292/

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