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伝統文化

【京都】日中韓、お茶で国際交流 枳殼邸で催し ウリ伝統文化協会の尹道心さん「文化を通して、よい友人関係を築くことができれば」

1: ねこ名無し ★ 2017/10/15(日) 04:37:03.40 ID:CAP_USER
お茶を通した文化交流を図る「源氏物語と枳殼邸大茶会」がこのほど、京都市下京区の東本願寺渉成園(枳殼邸)で開かれた。日中韓3カ国の茶席が設けられ、それぞれの茶文化を紹介した。

古典の日推進委員会が、「古典の日」制定5周年と東アジア文化都市2017京都の開催を機に催した。

中国茶席では中国政府公認高級茶芸師の唐牛裕子さん(71)が、急須と蓋碗(がいわん)で2種類のウーロン茶のいれ方を紹介。お湯は高温で時間を守ることなどポイントを説明しながら、香り高い茶をふるまった。

参加した長岡京市の無職吉田美智子さん(77)は「本格的な中国茶は初めて。雰囲気もよく、ゆったりとした気持ちでいただけた」と楽しんでいた。

韓国茶席では、高麗時代の衣装を身につけた男性が抹茶の基本点前を披露したほか、日本茶席は裏千家学生茶道研究会の大学生らが、源氏香や秋にちなんだ道具を使い、薄茶を呈した。

韓国茶席を主宰したウリ伝統文化協会の尹道心さん(60)は「お茶は3国共通の文化。政治的にはいろいろな問題があるが、文化を通して互いを理解し、よい友人関係を築くことができれば」と話していた。

また枳殼邸が、光源氏のモデルともされる源融ゆかりとされることから、朗読グループ・古都による「源氏物語」の朗読もあった。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20171011000054

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伝統的な衣装で抹茶点前を披露した韓国茶席(上)、香り高いウーロン茶を楽しんだ中国茶席(京都市下京区・東本願寺渉成園)

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【韓国文化】 韓国では消えたが、日本では残っている茶礼に対し…「蘊酒法」朝鮮では酒礼

1: LingLing ★ 2017/10/12(木) 22:14:58.49 ID:CAP_USER
[チョ・ヨンホンサロン][1112]川前宗家の蘊酒法
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チョ・ヨンホン建国大客員教授・文化コンテンツ学

茶禮という単語はウリマル(※韓国語のこと)に残っているだけで、実態は消えた。

その具体的な礼法は日本に残っていた。

古代文化の中心部では消えても、周辺部ではしっかりと保存されている場合が多い。茶禮がそうだ。

織田信長、豊臣秀吉の茶の先生を務めた日本茶道の宗匠・千利休(1522~1591)。

彼の15代後孫である千玄室を一昨日、北京茶道の行事で見る機会があった。

韓国年齢で95歳になるが外国行事を主管していた。

「裏千家」の生きる伝説であると共に東洋の貴族文化を代表する。

一生涯茶道で鍛えてきた節制と品格を身につけていながらも、話す時は素朴な表情だった。

日本の茶禮を見ながら「朝鮮は何か?」を考えさせられた。酒禮だという気がする。

高麗仏教が茶を重視したならば、朝鮮王朝に入って儒教が盛んになり、茶の代わりにに酒を祭祀に使用した。

安東義城金氏・川前大宗家に伝わっている「蘊酒法」文書がまさにそうした伝統を代弁する。

1700年代後半、この家の宗婦(晋州姜氏の祖母)がその内容をハングルで記録しておいたものだ。

57種類の酒を作る法を記録しておいた。

イファ酒、カンチョム酒、サムヘム酒、ペクジャ酒、チャンギャンククリョル酒、ソワンモユオクギョンジャン酒などだ。

「蘊酒法」を研究しているこの家の子孫・金明均(63)は両班の二つの業務が「奉祭祀、接賓客」だが、二つの仕事に欠かせないものが酒だったと答えている。

蘊酒法の序文には「酒は、身命を感動させて、賓客を和暢させる」という内容が書かれている。

両班家で酒を醸造する理由は、先祖の身命を感動させて家を訪れる客人を楽しませ振る舞うことだった。

仏教が茶なら、儒教は酒だった。(省略…)

ソース 朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=110&oid=023&aid=0003318789
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【朝鮮日報】1000-2000円台の格安韓服が大人気 多くは中国製

1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん 2017/10/05(木) 06:04:00.85 ID:CAP_USER
多くは中国製 「韓国の伝統を損なう」と懸念も

9月23日、ソウル市鍾路区の仁寺洞通り。会社員アン・ミナさん(27)は同窓生たちと一緒に韓服(韓国の伝統衣装)を着て仁寺洞のアンティーク街で自撮りをしていた。アンさんが着たチョゴリ(韓服の上衣)は1万ウォン(約1000円)、チマ(韓服のスカート)は1万2000ウォン(約1200円)、ノリゲ(装身具)は2000ウォン(約200円)。すべてネットショップで購入した中国製だ。アンさんは「秋夕(チュソク=中秋節、今年は10月4日)のお墓参りに行く時もこれを着るんです」と言った。

 秋夕を前に2万-3万ウォン(約2000-3000円)台の韓服が人気を呼んでいる。韓民族にとって旧正月に並ぶ二大年中行事とあって、「晴れの日のムードを出したい気持ちはあるものの財布が心もとない」という若い世代がよく購入している。韓服といえば以前は主に専門店で正絹から作ったものだった。そうした品は価格が数十万ウォンから数百万ウォン(数万-数十万円)で、主に結婚などで礼服として着られた。ところが、「格安韓服」はこうした格式を打ち破ってしまった。ポリエステルなどの安価な生地を使用し、東大門や中国の工場で作られる。韓服のネットショップには9900ウォン(約990円)のチョゴリまで登場した。ソウル大学衣類学科のイ・ユリ教授は「韓服も服の一種であり、商品であるため、高価なものから低価格のものまで、さまざまな価格帯が登場することは韓服の普及にも役立つ」と話す。

 「格安韓服」は外国人観光客にも人気だ。9月22日、ソウル市西大門区の梨花女子大学前にあるファッション・ストリートの衣料品店では、日本人女子大生サイトウミミカさん(22)が「韓服」「12900ウォン!」などと書かれている格安韓服コーナーでチョゴリを選んでいた。ミミカさんは「韓服が安いので、お土産にピッタリだと思った。妹や友達に韓国の伝統的な服だと紹介してプレゼントするつもりだ」と言った。

 「格安韓服」が登場し始めたのは2010年ごろからだ。若者たちが韓服を着て故宮や仁寺洞などで写真を撮るという文化が生まれた。韓服レンタル店が中低価格の韓服を作り、レンタルを始めた。その後、こうした需要が大幅に増え、韓服メーカーが工場で生産を開始することになったのだ。

 一部の人々からは「格安韓服が伝統を損なう」と懸念する声も上がっている。華やかさを強調するあまり、韓服ではあまり使わない金・銀・蛍光色を使ったり、韓国の伝統的な柄ではなく中国の柄を間違って使用したりすることがあるためだ。

キム・ジヨン記者

2017/10/04 08:06 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/04/2017100400087.html?ent_rank_news

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【韓国】第5回・幸福分かち合いキムチ愛祭り(写真)

1: HONEY MILKφ ★@無断転載は禁止 2017/09/25(月) 10:16:29.01 ID:CAP_USER
ソウル市広津区の広津広場で22日午後、第5回「幸福分かち合いキムチ愛祭り」が開かれ、
参加者らがキムチ名人1号の金順子(キム・スンジャ)大韓民国キムチ協会会長と共にキムチを
漬け込んだ。

(写真)
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ソース:朝鮮日報/NEWSIS
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/09/23/2017092300569.html

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【韓国】 新羅高僧が唐で「禅茶」を創始…これが「草庵茶」として発展し、日本に伝わり「わび茶」になった ~韓茶文明の東伝

1: LingLing ★@無断転載は禁止 2017/09/23(土) 22:44:22.41 ID:CAP_USER
■「我が国の草庵茶、日本茶道に大きな影響」チェ・チョンガン 茶文化研究家
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「日本茶を飲む礼法の中で、『草庵茶茶道』の根は我が国から始まりました。」

陶芸家であり、茶文化研究家でもあるチェ・チョンガン氏は、
「新羅の高僧である無相禅師が唐国で『禪茶』を創始し、朝鮮時代の学者である梅月堂(※金時習の号)がこれを『韓茶』すなわち草庵茶として発展させて、日本ワビ茶になった」と主張する。

梅月堂は、我が国の最初の漢文小説である「金鰲神話」の作家としてもよく知られている。

チェさんは30年間、100回以上中国と日本の現地図書館と博物館などを往来しながら茶を研究した。

以来、これを集大成にした著書「韓茶文明の東傳」は学界の注目を浴びた。

チェ氏は、本を通じて
「16世紀日本茶精神のうち、ワビ茶に影響を与えた人は梅月堂で、茶を飲む時に使う器である「ワン」も朝鮮時代の南部地方から伝わったものだから、我が国が日本に影響を与えたということ」と強調した。

我が国の茶の精神と茶器の一部が日本に渡り、日本式に再創造されたというのだ。

次はチェ・チョンガン研究家との一問一答。

Q.著書を通じて、韓日の間で「茶道文化」が移り行く過程が私たちが知っていた事と異なるという主張をした。
ここでの日本茶道とは、草庵茶茶道すなわち禪茶を意味する。

7世紀中頃、唐代で新羅王子だった無相禪師から発達した禪茶は、仏教において茶を飲みながら遂行する文化だ。

以後、高麗時代に寺刹を中心とした禪茶意識が発達し始めた。三国遺事の著者である一然禅師も禪茶を発展させ、新羅と伽耶の茶に関する記録を整理した。

その後、朝鮮時代の梅月堂先生にも禪茶精神が伝授された。禪茶は「草庵茶」へと生まれ変わった。

草庵茶は農民が住む草家を母体にした。清貧を基礎として15世紀日本に伝播されて新しい文化を作った。これを30年間研究した結集がまさに著書「韓茶文明の東傳」だ。

Q.それならば、我が国と日本の茶道の違いは何か?
日本ワビ茶は韓国の「草家」に根を置いている。しかし、初期のワビは高台広室のような大きな家から始まった。

これに対し、我が国の草庵は草家のように小さい素朴な自然主義を追求するソンビを通じて発展した。

金時習は、禅家と道家、仏家思想を土台に、儒教茶の伝統にこのような哲学的な深みと法式を加えた。

Q.梅月堂によって「草庵茶」が日本に伝播したという事実はどうやって明らかにしたのか?
研究の始まりは35年前だ。金時習が草庵で日本の外交使節の僧侶に徹夜で草庵茶の精神世界を論じる送別詩を詠んだことを梅月堂文集の中から発見した。

1988年、江原大学で開かれた梅月堂関係の国際学術セミナーで、「日本室町時代草庵茶に与えた梅月堂の影響」を主題に論文を発表し注目された。その後に本格的な研究が開始された。(省略...)

ソース YTN(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=052&aid=0001058685

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