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【韓国】ソウル ゴルフは「屋内」競技

※掲示板のまとめ記事ではありません。

2019/6/11 中日新聞 世界の街記事の要約

■屋内ゴルフの紹介

・韓国ではスクリーンに向かって打つ屋内ゴルフが盛ん

・プロの大会もあり、ケーブルテレビが中継もする続きを読む

【ゴルフ/全米韓国オープン】12年間で韓国勢8人優勝、米メディア「全米OPは事実上の韓国OP」

1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん 2019/06/04(火) 17:59:23.37 ID:CAP_USER
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李晶恩(イ・ジョンウン)が全米女子オープンで韓国人選手として10人目の優勝者になった。

 1998年に朴セリ(パク・セリ)が初優勝したのを皮切りに、22年間で半数近い10回も韓国人女子プロゴルファーが優勝をしている。これは、米国人選手(51人)の次に多い。

 この範囲を、「セリ・キッズ」と呼ばれる朴仁妃(パク・インビ、30)が2008年の全米女子オープンで優勝した時からに広げて考えれば、さらに驚異的な数字が出てくる。2008年からの12年間で韓国人選手8人が全米女子オープンで優勝しているのだ。なんと67%という割合である。世界の舞台を席巻する韓国のアーチェリーに次ぐ快挙だ。しかも、プロスポーツの個人種目で一体どうしてこのようなことができたのだろうか。

 まず、米メディアが使い始めた「全米韓国オープン」という言葉からひもといてみよう。 2000年代初めに韓国人選手たちが全米女子プロゴルフ(LPGA)ツアーに多数進出、全米女子オープン出場選手156人のうち韓国人選手が約40人に達し、優勝する頻度がますます高まるや、こうした言葉が言われ始めた。「大会の名称は『全米オープン』だが、事実上は『韓国オープン』も同じだ」という意味だ。

 今年の全米女子オープンには韓国人選手21人が出場した。13%の割合だ。韓国女子プロゴルフ(KLPGA)ツアーで年間30前後の大会が開かれるようになり、米国に進出の選手は減っている。だが、その21人の中には、世界1位の高真栄(コ・ジンヨン)をはじめ、20位以内に9人(10位以内に4人)が含まれている。今回優勝した李晶恩は大会開始前の世界ランキングが17位だった。量と質で韓国人選手の優勝確率が高まったと言える。

 それにしても、全米女子オープンでひときわ強い理由がほかにある。ほかのメジャー大会で韓国人選手たちは全米女子プロゴルフ選手権で7回、全英女子オープンで6回、ANAインスピレーションで5回、エビアン選手権で2回優勝した。

2011年に優勝し、今年は2位になった柳簫然(ユ・ソヨン)は「今プレーしている選手たちは、1998年に朴セリさんが『はだしの闘魂』で優勝する姿を見てゴルフを始めたケースがほとんど。『私もセリ姉さんのように全米女子オープンで優勝しなければ』という気持ちを持っている」と話す。韓国の女子プロゴルファーたちにとって、全米女子オープンはまさに「聖地」なのだ。

 全米女子オープンで2回優勝した朴仁妃は「韓国人選手たちは1年のスケジュールを全米女子オープンに合わせて組んでいると言っても過言ではない。持っているすべての力をこの大会に注いでいる。韓国人選手たちの優勝回数が増え、『私もできる』という自信につながっていると思う」と語った。

 世界最高権威の女子プロゴルフ大会である全米女子オープンは、女子の大会の中でコースセッティングが最も難しい。大会を主管する全米ゴルフ協会(USGA)は「14本のクラブをすべてうまく使う選手が優勝するようにする」という原則を持っている。

 このような条件を満たすため、コースは長く、フェアウェーは狭く、ラフは深く、グリーンは硬く速く作る。こうしたコースでうまくやるには、弱点があってはならない。長打を打っても方向が良くなければラフをさまようことになる。まっすぐばかり打っていては長いコースでツーオンが難しい。硬くて速いグリーンを攻略するには、繊細なショートゲームとパッティング能力を備えていなければならない。四日間このような「地獄のコース」で生き残るには、優れた体力と集中力が必要だ。ジュニア時代から難コースでし烈な競争を繰り広げてきた韓国人選手たちにうってつけの環境が作られているのだ。

 「芝も違うし、慣れた雰囲気でもない米国のコースで、韓国女子プロゴルフツアーの招待選手として参加した柳簫然(2011年)と田仁智(チョン・インジ、2015年)が優勝したのも、このような説明が付く」とゴルフアカデミーのイム・キョンビン院長は話す。

 また、LPGAツアーのルーキー、朴城ヒョン(パク・ソンヒョン、2017年)と李晶恩(2019年)が全米女子オープンで初優勝したのも偶然ではないということだ。

閔鶴洙(ミン・ハクス)記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/06/04/2019060480002.html
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/06/04 08:32

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スピードスケート女子の小平選手に韓日友情賞

1: ◆mZB81pkM/el0 (庭) [US] 2019/04/07(日) 16:44:52.91 ID:OfHevpQ60 BE:844481327-PLT(12345)
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【ソウル共同】昨年の韓国平昌冬季五輪・スピードスケート女子500メートルで競いつつ友情を育んだ姿が感動を呼んだとして、
韓国の「2018平昌記念財団」が7日、金メダルの小平奈緒選手(32)と銀メダルの李相花選手(30)に「韓日友情賞」を授与した。
小平選手は2人の友情は「特別な情景ではなく日常のもの」だと話した。

ソウル市内で授与式が開かれ、両選手が出席した。
平昌五輪ではレース後、2位に終わりリンク上でむせび泣く李選手に小平選手が近寄ってねぎらい、抱き合った場面が日韓で話題となった。

https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-899981.html
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【北朝鮮】 「このような世界に一つしかない国で走ってみたかった」~国際マラソン大会、各国ランナーが平壌へ

1: 蚯蚓φ ★ 2019/04/05(金) 14:37:36.92 ID:CAP_USER
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 北朝鮮の平壌で開かれる国際マラソン大会を前に各国のランナーが4日、経由地の北京を出発しました。

 スイスからの参加:「北朝鮮は全く違う文化なので、見てみたいと思いました」
 スペインからの参加者:「このような世界に一つしかない国でマラソンを走ってみたいなとずっと前から思っていたんですね」

 北京空港にはヨーロッパやアフリカなど世界中からランナーが集まり、平壌へ出発しました。また、高麗航空の機内ではモランボン楽団の演奏がモニターに映し出され、お土産の機内販売も行われていました。平壌市内は凱旋(がいせん)門や金正恩委員長の肝煎りで完成した黎明(リョミョン)通りがライトアップされ、夜を彩っていました。今年で30回を迎える国際マラソン大会は7日の予定です。

ソース:テレビ朝日<北朝鮮で国際マラソン大会 各国ランナーが平壌へ[2019/04/05 10:31]>
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000151527.html

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【韓国】スケートいじめ騒動で叩かれたキム選手、「むしろ私が7年間もいじめられていて地獄だった」と訴え

1: 動物園φ ★ 2019/02/21(木) 17:16:51.74 ID:CAP_USER
スピードスケート代表キム・ボルムがノ・ソンヨンに解明を要求した。

キム・ボルムは19日午後、自身のSNSに「1年前の今日の2018年2018年2月19日、平昌オリンピックチーム追い越しの試合があった」とし
「平昌五輪当時の多くの嘘と嫌がらせの件について、今ノ・ソンヨン選手の答えを聞きたい」という内容の文を掲載した。

キム・ボルムは1年前の平昌冬季オリンピック当時、ノ・ソンヨンとパク・ジウとスピードスケート女子チーム追い越しに出場した。
しかし、キム・ボルムとバク・ジウがノ・ソンヨンより先にフィニッシュラインを通過して「いじめ走行」論議が起こった。

以後、キム・ボルムは膨大な世論の批判に直面した。マススタートで銀メダルを獲得した後もお祝いの声よりも批判の声がより大きかった。
オリンピックが終わった後、文化体育観光部が実施した監査で「いじめ走行」はなかったという事実が確認されたが、
キム・ボルムに貼られた烙印は消えなかった。この当時の衝撃でキム・ボルムは精神科の治療を受けた。

多くの懸念の中でも、キム・ボルムは2018-2019シーズンに再び太極マークをつけて氷に戻り、国家代表として活躍している。
しかし心の傷は相変わらずだ。 去る1月には放送に出演して自身の無実を主張した後、ノ・ソンヨンに解明を要求した。
むしろ自分がノ・ソンヨンから暴言を聞いたと主張した。

キム・ボルムはSNSに掲載した文を通じて再びノ・ソンヨンに解明を要求した。彼女は「過去1年間、非常に困難な時間を過ごした。
オリンピックが終わって人々を見る勇気が出なかった。精神的苦痛はますます深まり、精神科の治療を受けなければならず、
体は壊れに壊れて運動を再開できるか疑問なほどであった」とし、「これ以上運動選手としての価値も希望も失ったと思った。
一生運動だけしてきたアイデンティティを失ったように思えた。一日も痛みや苦しみの中から抜け出すことができなかった」と吐露した。

キム・ボルムは続いて「多くの方々の励ましの中で運動を再開し、今では懸念とは異なり選手生活を続けている。
再びスケートに乗って、少しずつ良くなってきた(中略)しかし私の痛みは消えなかった。だから、1月に
ノ・ソンヨン選手の件でインタビューを受けた。私は今でもノ・ソンヨン選手の回答を待っている」と伝えた。

キム・ボルムはまた、「選手村での7年という時間の間のいじめは一日一日地獄のようだった。
私だけでなく、他の複数の後輩選手たちも皆苦痛の中で生活していた」とし
「今はもはやそのような被害を受ける後輩選手たちが出てこないといいという心でこんなに文を上げる」と主張した。

以下略

https://news.nate.com/view/20190219n36951?mid=n1007

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