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「韓国はいつになったら日本のトラウマから抜け出せるのか」観客動員800万人突破 韓国映画『破墓』を見て

1: 昆虫図鑑 ★ 2024/03/18(月) 17:23:19.54 ID:k+hzeX+9
東京のグローバル競争力を高めて未来を示した麻布台ヒルズ
共生の哲学に基づき公共・民間がコラボした開発の決定版
日帝時代の鉄杭をモチーフに日本の妖怪を退治する映画『破墓』のほろ苦い人気
韓国はいつになったら日本のトラウマから抜け出せるのか

映画『破墓』が韓国でヒット街道を突っ走ろうとしているとき、記者は東京の港区にいた。ポップアートの巨匠「キース・へリング」の作品展を見るために森美術館(森アーツセンターギャラリー)に向かっていたのだが、地下鉄駅の出口を間違えたせいで、意外な場所に着いてしまった。森美術館のある森タワーではなく、その親戚のような「森JPタワー」、つまり最近世界の建築界と不動産業界の注目を一身に集めている「都市の中の都市」、麻布台ヒルズに入り込んだのだ。

 現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれる英国の建築家、トーマス・ヘザウィック氏が設計に参加したという麻布台ヒルズは、高さ330メートルの森JPタワーをはじめ3棟の超高層ビルが並ぶ高密度の複合団地だ。1400世帯が居住するマンションに、オフィス、ホテル、ショッピングモール、さらには病院や学校、美術館に飲食店まで入っている。10分以内の距離で働き、学び、食事をして寝るという日常を送ることができる「コンパクトシティ」なのだ。何よりも、自分の足で歩くという面白味が存分に味わえた。サルバドール・ダリの出世作「記憶の固執」をモチーフにしたとのことで、フロアとフロア、建物と建物を結ぶ動線が非現実的だった。平地を歩いているつもりだったのが上り坂だったり、地下3階でドアを開けたら地上だったりという具合だ。

 最も目を引いたのは、超高層ビルの間の余白を埋める約 24,000 ㎡の緑地だった。土地の険しい勾配をそのまま生かした階段式の庭園には320種の木が植えられ、中央の広場には小川が流れていた。行き交う人々は5000ウォン(約550円)ほどのクレープを食べ、奈良美智のアートやオラファー・エリアソンの彫刻を鑑賞した。日中は約2万人がここのオフィスで働き、夜には3500人の住民が夕食を準備して食べて布団に入る。それは「金の私有地」を一般市民が共有する現場だった。

 ニューヨークのハドソン・ヤードと並んで未来都市の姿を示していると評価される麻布台ヒルズは、「共生の開発」をモットーとした日本の不動産開発企業、森ビルが手がけた。都市の過密化に対する解決策を、50階以上の垂直ビルディングと緑地の確保というツートラックに見出した森ビルは、六本木ヒルズを皮切りに虎の門ヒルズ、麻布台ヒルズを誕生させ、バブル経済の崩壊以降停滞が続いていた東京に活力を吹き込んだ。

 最も驚かされたのは、20~30年の開発期間のほとんどを、地元住民の説得と彼らのニーズを満たすことに費やしたという事実だ。六本木ヒルズの開発に反対する住民に対し、森稔社長(当時)がひざまずいて「誰一人、再開発のせいで涙を流すことのないようにする」と訴えかけたエピソードは有名だ。

(略)

 東京から韓国に戻り、映画『破墓』を見た。映画『建国戦争』を手がけたキム・ドクヨン監督の「左派の映画」という批判には同意しないが、映画を見てその心情が理解できた。『破墓』の監督は『プリースト 悪魔を葬る者』『サバハ(THE SIXTH FINGER)』を手がけたオカルトの巨匠だというが、その内容は、虚偽だと判明した(日帝時代の)鉄杭のうわさを基に、韓半島に流れる精気を断ち切ったサムライの妖怪を打ち倒すという親日清算のストーリー展開だった。若い巫女(みこ)ファリムが「日本の妖怪は韓国の幽霊と違い、手当たり次第人を殺すらしい」と言ったときには失笑を禁じ得なかった。『鬼滅の刃』でもないだろうに。それでも映画の興行成績は破竹の勢いだ。

 SHIBUYA SKYから見下ろした東京の夜景が頭に浮かんだ。ぞっとするほど活気に満ちあふれていた。日本政府と森ビルが成功させた六本木モデルは、渋谷、新宿、日本橋など交通の要地にも拡大され、東京を新しく生まれ変わらせている。円安の影響で外国人観光客が2000万人を突破したというニュースや、日本が半導体大国として復活し、不動産の黄金期を迎えているという報道を見て、また一層みじめな気分になった。「みんなのためのアート」を宣言したキース・へリングのように、東京は「みんなのための都市」に生まれ変わるべく未来に向かって駆け出しているのに、我が国だけが過去に縛られてうめいているのではないか。掘り起こさなければならないのは親日派の墓ではなく、自分たちの内部にある日本のトラウマだったのだ。

金潤徳(キム・ユンドク)先任記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/03/14/2024031480122.html

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【朝鮮日報】米英の歴史書は間違いだらけ「西暦370年、日本の侵略軍は韓半島南部の任那に植民地を作った」

1: 昆虫図鑑 ★ 2024/03/10(日) 09:32:15.42 ID:qDhVmwjQ
米国ワシントンには、スミソニアン国立博物館が分野別に幾つもあります。少し前には、スミソニアンの国立自然史博物館に行ってきました。

 スミソニアンが出版している歴史の本を買って読みました。20・21世紀の両世紀にわたるパクス・アメリカーナが世界史をどのように整理したのか、見てみたかったのです。

華麗な歴史グラフィックや遺物の写真を見ていて、一晩たったのにも気付きませんでした。そうした中、困惑してしまう間違いを見つけました。

 スミソニアンの『歴史年表(Timelines of History)』の94ページは、このようになっていました。

 「西暦370年、日本の侵略軍は韓半島南部の任那に植民地を作った(c. 370 Japanese invading force establishes a colony at Mimana in southern Korea)」

 日本でも根拠のないものだと判明した「任那日本府説」を、歴史的事実であるかのようにそのまま記していました。

 95ページは「393年、日本の大和政権が韓半島の新羅と百済を急速に制圧していった(The Yamato of Japan overrun Silla a Paekche, Korea)」となっていました。

 一部の西側の歴史学者は韓国史について専門性が不足しているのではないか-という考えを抱きました。英国の代表的な出版社の一つでスミソニアンの本も出版しているDKが、英国で2022年に出版した歴史書も、見てみるとやはり多くの問題がありました。

 DKの『世界史年表(Timelines of World History)』67ページ、西暦4-5世紀の部分を見ると「西暦404年、広開土、韓半島の新羅の支配者、日本の大和政権の侵略を撃破する(404CE Gwanggaeto, ruler of the Korean state of Silla, defeats an invasion from Yamato Japan)」と書いてありました。

 ご存じの通り、広開土王は高句麗の支配者であって新羅の支配者ではありませんでした。しかも404年は、百済と倭による新羅への連合攻撃でした。倭の単独侵略ではありませんでした。

 さらにページを繰っていくと、88ページに紹介してある高麗の太祖の御影が、かなり見慣れないものでした。調べてみたところ、スミソニアンが「高麗の太祖」だとして本に載せていた人物画は、高麗の太祖・王建の画像ではありませんでした。高麗の顕宗代の武官、姜民瞻(カン・ミンチョム)将軍=963-1021=でした。高麗契丹戦争のとき姜邯賛(カン・ガムチャン)と共に戦場へ赴き、亀州の戦いを勝利に導いた主役です。

 韓国語で簡単な資料検索をするだけでも確認できることでした。

残念なことでした。このように韓国史について誤って記述した内容が、米国立博物館の書籍のみならず国際的な出版社の本を通して伝えられているからです。これらの本は市中の書店で、またオンラインの電子書籍として手軽に購入できます。広開土王を新羅の人物と書くというのは、やってはならない誤りではありますが、単純なミスだと理解することもできるでしょう。

 しかし任那日本府説は、西暦4-6世紀に日本が韓半島南部を支配していたという根拠のない主張であって、日本の代表的な歴史歪曲(わいきょく)だと指摘されてきました。今では、日本の学界ですら破棄された学説です。

 こうした問題は、既に中国でも起きていました。中国の大学の世界史教材として最も広く読まれている人民出版社本の『世界通史』には「大和国家はかなり早い時期から隣国朝鮮を侵略した。4世紀中盤、朝鮮半島南端の弁韓伽耶国から任那を奪取し、北に向けて侵略を継続する拠点とした」と書いてあったのです。

 歴史は、守らなければ失われてしまい、歪曲されてしまいやすいものです。スミソニアンの本にちょっと間違ったことが書いてあるからといってそれが何か大変な問題なのか、と思う人がいるかもしれません。ですが、こうしたことが繰り返されると、後々収拾をつけるのが困難になりかねないのです。

 韓国政府や国家機関は、こうした問題点を積極的に見つけ出し訂正する努力に、一層力を注がねばならないように思います。

ワシントン=盧錫祚(ノ・ソクチョ)記者・ジョージタウン訪問研究員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/03/04/2024030480123.html

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【ハンギョレ】朝鮮半島はなぜ4回の戦争を避けることができなかったのか

1: ばーど ★ 2024/03/01(金) 11:42:45.57 ID:Gf+/2M5t
 今から130年前に日清戦争(1894年)が、120年前に日露戦争(1904年)が朝鮮半島で繰り広げられた。京都大学の山室信一名誉教授は、「連鎖」という観点を通じて、日本と世界、アジアが関係を結ぶ方式と意味について研究してきた。山室教授は『日露戦争の世紀』でも特有の連鎖という視点で、どうして日本がロシアと戦うことになったのかという歴史的な背景について、立体的に探っている。山室教授は、開港後に日本がどのような国際体制または状況のもとに置かれたのか、どのように対処したため、日清戦争を経て日露戦争、さらには太平洋戦争に突入することになったのかについて、世界史的な見解で眺望する。

 1855年に江戸幕府とロシア帝国は和親条約を結ぶ。条約締結のために訪問したロシアの特派大使プチャーチンが乗船した軍艦のディアナ号が東海近海で事故により沈没すると、日本はロシアと協力してその代わりとしてヘダ号を建造する。この船舶は日本が作った最初の洋式帆船だった。日露国交樹立150周年を記念する行事で、プーチンはこの事件が両国の長きにわたる友好関係を証明すると述べた。しかし両国は、和親条約のわずか半世紀後に戦争を行った。

 アマゾンの蝶々の羽ばたきが米国のテキサスでハリケーンの原因になるように、1891年にロシアがフランスから借款を得て建設を始めたシベリア横断鉄道は、日本に強い恐怖をもたらした。当時世界一の強力な陸軍を保有していたロシアが、英国の制海権の影響を受けない陸路を利用してモスクワからウラジオストクまで移動できるという事実は、日本はもちろん、東アジアさらには国際秩序にも大きな変動と衝撃をもたらしうる事件だった。日本は、シベリア横断鉄道が完工する前に、ロシアとの一戦を繰り広げることを計画し、綿密に準備した。

 1905年、すべての予想を覆して日本がロシアに勝利し、アジア各国の植民地解放運動勢力は、日本の勝利をともに祝った。しかし戦後、米国と日本が結んだ桂・タフト協定と日英同盟が象徴するように、日本は西欧と互いの植民地利権を保障する代わりに、アジアの民族独立運動勢力を圧迫するもう一つの帝国主義国家になった。一時は日本の勝利を称賛したインドのネルーも同様に「一握りの侵略帝国主義集団にもう一つの国を付け加えたに過ぎない」と批判した。日本はアジアで、朝鮮だけでなくインド、ベトナム、中国、フィリピンの敵になった。それから40年が流れた1945年8月、日本はロシアと朝鮮半島でふたたび激突した。

 山室教授は、自ら軍国主義の道に向けて進んだ日本の対応と変化について、鋭い批判を加え、これを通じて反省を促す。しかし、これらの反省や省察とは関係なく、私たちの立場からみると、日清戦争から日露戦争、太平洋戦争、そして朝鮮戦争にいたる4回の戦争のうち、3回は日本が起こし、残りの1回の戦争も日本がその原因の提供者だった。不幸にもその4回の戦争で、私たちは常に被害者だった。世界情勢が揺れ動いている近頃、私たちは自らに問わなければならない。どうしてこの4回の戦争を避けることができなかったのか。今の私たちは、これから差し迫ってくるかもしれない危機に、十分に備えているのか。

 当時の朝鮮のエリートは国際関係に暗く、既得権に安住して変化を恐れた。高宗皇帝は初めは清に依託して外勢を引き込み、その次はロシア、最後には米国に頼った。しかし、ただの一度も民衆と手を取り合うことはなかった。

チョン・ソンウォン|「黄海文化」編集長

ハンギョレ 2024-03-01 08:48 修正:2024-03-01 10:00
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/49307.html

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【三一節】韓流アイドルグループの日本人メンバー、歴史に敏感な韓国の祝日に「休日なの?うらやましい」で大炎上

1: 昆虫図鑑 ★ 2024/03/01(金) 10:06:41.72 ID:l8L8IneE
【03月01日 KOREA WAVE】韓国の男性アイドルグループ「ENHYPEN(エンハイプン)」の日本人メンバー、NI-KI(ニキ)が、韓国で3月1日が祝日(三一節)にあたるため「うらやましい」とコメントし、大騒動になっている。

「三一節」は、日本統治下の1919年に起きた抗日独立運動「三・一運動」を記念する日。日本の植民地支配に抵抗した歴史的な意味がある。

NI-KIは2月29日、ファンコミュニティー「ウィバース」に「明日(3月1日)さえ持ちこたえれば週末だ」と投稿した。

これに対し、あるファンが「韓国は明日休む」「三一節なので休む」と応答すると、NI-KIは三一節を知らなかったようで「明日、赤い日(祝日)なのか」と問い返したうえ「うらやましい」と話した。

NI-KIの発言に対し、ファンは「早く削除して」「大変なことになった」などと憂慮する声が相次いだ。

この書き込みはオンラインコミュニティで急速に拡散し、議論を呼んだ。ネットユーザーらは「歴史教育を受けていないのか」など、否定的な反応を示した。一方で「悪意のない失言に過ぎない」との声もあり、拡大解釈を自制すべきだという意見もある。

(c)MONEYTODAY/KOREA WAVE/AFPBB News

https://www.afpbb.com/articles/-/3507597?cx_part=top_category&cx_position=1

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【中央日報】韓日が400年の歴史が刻まれたツバキ「五色八重」に真偽問題浮上

1: Ikhtiandr ★ 2024/02/28(水) 01:32:40.31 ID:tte4lyuD
韓国慶尚南道(キョンサンナムド)に位置する蔚山(ウルサン)市。同市庁前の庭には韓日両国の長い歴史が物語として刻み込まれた1本のツバキが立っている。高さ2.5メートルのこのツバキは31年前に京都から蔚山にやってきた。樹齢は今年で41年。木は五色、八重の花が咲くといって「五色八重」と呼ばれる希少種だ。1590年代、日本の将帥が蔚山にあった木を日本に持ち帰り、その後400年ぶりに韓国に戻ってきて市庁の広場に植えられたというその「蔚山椿」だ。

◇「五色八重」に真偽問題が持ち上がる

三一節(独立運動記念日)を控えた中で、蔚山でこのツバキの由来を巡り真偽問題が持ち上がっている。韓国と日本を行き来したという木にまつわる物語が実は十分に検証されていない嘘の説話という一部学者の主張が提起されながらだ。蔚山市のある幹部公務員は27日、「ツバキの由来が間違っているという主張が相次ぎ、蔚山歴史研究所に由来に関する検証を依頼して最近報告書を受けた。現在該当内容を改めて丁寧に検収・検討している」と明らかにした。

真偽問題は昨年上半期から本格的に浮上していた。地域植物学者などのメディアへの寄稿、文化解説士の情報提供、市民のうわさなどを通してだ。社団法人韓国湿地環境保全連合のチョン・ウギュ博士はメディアへの寄稿文で「(蔚山市が)ツバキについて十分考証せずに広報ばかりに気を使っていたところ、でたらめな情報が拡大再生産されている」と主張した。チョン博士は「在日大使館の文化教育担当領事や元駐日教育官らの協力を得て調査をしたが、蔚山市庁前の庭に植えられたツバキと日本の五色八重散椿は木の形や、葉の形、花が咲く時期などあらゆる点で異なり、同じ木と見ることができなかった」と主張した。

ある文化解説士もほぼ同じ時期、蔚山地域報道機関に情報を提供して「京都歴史資料館に『蔚山椿の説話の根拠や史料はあるか」を尋ねたが、京都側が書面答弁書を通じて「根拠になる史料や資料集などは公式に発刊したことはなく確認することはできない」と明らかにしたと伝えた。当時公開された京都歴史資料館の答弁書には「古い記録物にはツバキの由来についての資料はなく、20世紀以降の刊行物では言及されたものがあった」とも書かれている。

※続きは元ソースでご覧ください

中央日報日本語版  2024.02.27 14:45
https://s.japanese.joins.com/JArticle/315522

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